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写真が語る雲仙・普賢岳噴火活動期の島原

2020年06月03日

43人が犠牲となった雲仙・普賢岳大火砕流惨事の記憶を風化させまいと当時の写真を募集する取り組みも始まっています。山田スミコさん(81)は「こういうものは伝えていかないと次の行動に移せない」と話します。島原市の元小学校教諭山田スミコさん(81)です。見せてくれたのは大火砕流の約1年半後の1992年9月27日の写真です。火砕流による噴煙が高く上がる中、開かれた島原市立第三小学校の運動会の様子です。なぜ噴煙が迫っているにも関わらず運動会を開催したのでしょうか。山田スミコさんは「(噴火活動再開の1990年)11月17日からずっと学習しているでしょう。噴火とは何かとか、水蒸気が変わったとか」と話します。当時第三小で理科を教えていた山田さん。島原に来ていた専門家から噴火のメカニズムを学び、授業に取り入れました。この時、先生も児童も特に焦る様子もなく風向きを見ていたといいます。山田スミコさんは「上昇気流に乗った灰かぐら(噴煙)が自分の方に来ないということを判断して運動会を続行している。島原市民の心がわかる写真と専門家がおっしゃった。自然に学ぶということです。その学習を自分の材料にしてしゃべる。自分の体の中に認識して初めてその人は行動できるでしょう。だからそれは伝えなければいけない。知識として持たなければならない」と話しました。雲仙岳災害記念館では噴火活動期を振り返る写真展が始まっています。山田さんの写真の他、公募で集めたり亡くなった消防団員の遺族が提供したりした72点を展示しています。雲仙岳災害記念館の東山陽次学芸員は「当時の資料や当時のことを知っている方がどんどん少なくなっていく現状にあるので災害の時こんなことがあったよねと記念館で振り返ってもらう、そういう機会にできたらいい」と話しました。写真展は7月5日(日)まで。入場は無料です。