被爆3世のアクセサリー作家の女性が制作している「折り鶴アクセサリー」が、製作開始から10年目で1万羽を達成しました。
1円玉より小さな折り鶴。最も小さいものは、一辺が1.3cmの折り紙で作られています。
製作しているのは長与町のアクセサリー作家・管田多津子さん(45)。紙の折り鶴を樹脂で固めて、イヤリングやピアスなど約20種類のアクセサリーに加工して販売しています。二分脊椎症という先天性の病気を持ち、歩行が困難な管田さん。「自分にもできる平和活動」として2017年から始めたのが、平和のモチーフをファッションの一部として取り入れられる折り鶴のアクセサリー作りでした。
管田多津子さん:
「家族のことを思いながら折りたいっていうのがあったので、家族がどういう経験をしたのか知りたいっていうのが大きな気持ちがあった」
管田さんの身内には被爆者が3人いて、既に亡くなっています。道ノ尾の自宅で被爆し、原爆でガラス片が刺さった傷が残っていた父方の祖母・ツギ子さん(1992年78歳で死去)。母方の曾祖母・チノさん(当時69歳)と、祖父・茂さん(当時33歳)については被爆したことしかわからず、管田さんは、茂さんの手記や戸籍など当時の記録を手掛かりに被爆体験をたどりました。
わかったことは、曾祖母・チノさんは、8月9日の朝まで茂木町に住んでいた祖父・茂さんの家にいましたが、「用事がある」と言って爆心地からわずか500メートルの岡町の自宅に戻って原爆に遭いました。茂さんはチノさんを探すため入市被爆し、片道10キロ以上の道のりを何往復もして、夢枕に立ったチノさんが「地下にいる」と教えてくれたことで、床下から骨を拾うことができたそうです。
管田多津子さん:
「だんだんいろんなことがわかっていくにつれ、始めるべくして始めたんだなっていうことと、しっかり思いをもって続けていかなきゃなと」
折り鶴アクセサリーの売り上げの一部は被爆者団体や長崎市、高校生一万人署名活動などに寄付していて、これまでの総額は16万4600円。この日は、V・ファーレン長崎、長崎ヴェルカカラーの折り鶴を使った「ぴーせるアクセサリー」の売り上げの一部を、被爆遺構保全に充てられる「クスノキ基金」に贈りました。
管田多津子さん:
「サッカーとかスポーツ観戦の時にも折り鶴と一緒に平和の思いを忘れないで身に着けて応援してもらえるような機会が増えればなと思っています」
現在は原爆資料館の売店や、平和公園の隣の雑貨店兼カフェ「ブルーブロンズストア」で委託販売し、月に数回店頭に立って訪れる観光客らに制作の意図を伝えています。
活動を始めて10年目、最も印象的だったのは2024年、ノルウェーで行われたノーベル平和賞授賞式で、被災協の田中重光会長の胸元に折り鶴のタッグピンを見つけたことでした。
管田多津子さん:
「会長の胸元が見えた瞬間にスマホを持って仏壇にいって祖父母に『ほらほらほら』って『会長さんがつけてくれてるよ』っていうのを一番最初に報告しましたね。少しでもこの折り鶴を通して平和を身近に考えていただける機会をもっていただければと」
世界にはばたく万羽鶴。今後は家族証言者として家族の被爆体験を伝えていきたいということです。