原爆犠牲者の慰霊と街の復興を願い、原爆投下から2年後に作られた「長崎盆踊り」。踊りを継承しようと練習を積んできた小学生たちが「慰霊盆踊り大会」で踊りを披露しました。
被爆80年の8月9日を前に、2日(土)、長崎市丸尾町の丸尾公園で行われた「慰霊盆踊り大会」。今年で56回目です。近くの朝日小学校に通う子どもたちも黙とうを捧げました。
稲佐山の中腹にある朝日小学校。今年から平和学習の一環として始めたのが、「長崎盆踊り」の継承です。地域の中で踊れる人が少なくなる中、5年生を中心に、全校児童67人が練習を重ねてきました。
長崎盆踊りは、原爆犠牲者の慰霊と街の復興に向けて市民を元気づけようという思いが込められ、市民に親しまれてきました。
歌を作るため奔走したのが、当時28歳だった故・本多正邦さん。兵士として送り込まれたニューギニアから生きて戻った長崎は、原爆に遭い、肉親や実家を失いました。
長崎盆踊りは、原爆投下からわずか2年後の8月9日に行われた「長崎平和盆踊り大会」で初めて披露され、約3万人が集まったといいます。
朝日小学校の子どもたちは、夏休みに入ってからも地域の人たちと練習を行ってきました。
踊りを教えてきたのは、長崎民謡舞踊連盟の永田利子さんです。
長崎民謡舞踊連盟・永田利子さん:
「必ず上がっている手を見ます。顔が上がる。あげたら今から復興するぞと、前向きな感じがすると思うので」
朝日小学校5年・松尾彩羽さん(10):
「腰を下ろしながら回るのが、難しいです。もうちょっと練習して完璧に踊りたいです」
朝日小学校5年・熊谷和夏さん(11):
「戦争で亡くなった人に慰霊の願いを込めて、踊りたいと思います」
旭町親交会自治会・松尾博行会長:
「原爆が投下されて80年ですから、盆踊り大会で踊っていただいて、地域や学校で継承していかないといけないと思いますね。盆踊り大会は一番大事ですね」
朝日校区連合自治会・酒井好彦会長:
「元気で踊ってもらって、思いやりのある子どもたちに育ってもらえればいいと思いますけどね」
そして、本番となった「慰霊盆踊り大会」。5年生の子どもたちはやぐらの上に登って練習の成果を披露します。
♪ ハア 岩屋 稲佐も 坊主じゃおらぬ みどり黒髪 櫛入れた
歌詞には、原爆によって草木が無くなった長崎の地に再び緑が芽吹く様子が描かれています。
去年は「長崎盆踊り」を踊れる人は多くありませんでした。今年は歌詞の意味も学んだ子どもたちを中心に、多くの人が踊りに加わりました。
朝日小学校5年・古舘希羽さん(10):
「みんなに平和を伝えて、世界を平和にするぞと思ってやりました。みんな楽しそうにしていて良かったです。平和を広めたいと思ったらいいと思います。思ってくれるとうれしいです」
特別な思いで参加した人もいます。長崎市の山本富子さん、88歳。毎年8月、原爆犠牲者の慰霊と平和を願い、40年以上、「長崎盆踊り」を踊り続けてきました。山本さんは8歳の時、爆心地から3.4キロ、飽の浦町の自宅で被爆しました。
山本富子さん(88):
「原爆はどこの国でもつくれないように、早く平和になって、皆さんが楽しく愉快に生きられるそういう世の中になりたいですね」
「一生懸命子どもたちも踊られて、とても良かったんじゃないでしょうかね。やっぱり続けて踊ってほしいですね」
♪ 踊り踊ろか モンペをぬいで 軽い浴衣に 平和な姿
子どもたちや地域の人たちは、他の踊りと共に約1時間半の間、平和を願いながら踊りました。
朝日小学校・平田まさるさん(11):
「平和や慰霊の言葉を考えながら踊りました。戦争を経験した方は色んな苦しみがあったと思ってほしいです。けんかがなく、世界に核兵器がない世界になってほしいです」
原爆によって荒廃し、色を失った街で生きる市民を勇気づけてきた「長崎盆踊り」。原爆の犠牲者を悼み、平和の思いをつなぐ踊りは、これからも地域で大切に受け継がれていきます。