2016年12月。対馬市で、父親と娘の2人の尊い命が奪われた殺人放火事件。犯人逮捕まで1カ月以上を要した難事件に、科学の力で挑んだ県警職員がいました。
「自分たちが現場に行って、犯人を捕まえることはできないんですけど、被害者の無念を晴らせるように」
長崎県警本部刑事部 科学捜査研究所、通称「科捜研」に所属する嶋田裕史さん(42)。諫早市出身の嶋田さんは高校卒業後、熊本大学の工学部に進学。2009年から長崎県警の科捜研で働いています。
「事件・事故が起こった時に、現場の警察署から鑑定の依頼を受けて、鑑定をして、その結果を返すという仕事になります」
科捜研は、科学の力で捜査の最前線を支える科学捜査のプロフェショナル集団です。DNA型などを調べる「法医学係」、防犯カメラの画像解析などを行う「物理係」、筆跡鑑定などを行う「文書・心理係」、そして嶋田さんが所属する「化学係」。4つの係があります。
嶋田さんが向かったのは、化学鑑定室。
「ここでは薬物や毒物が関与したような事件・事故があった時に関係者の血液とか尿とかの検査を受けて、試料から毒物を検査することをやっています」
日々、県内の警察署から届く鑑定依頼。多い日には1日で10件の依頼が届くこともあります。「証拠品保管室」から出してきたのは、薬物が関与した事件・事故に関与した可能性がある人の尿です。
「見た目では何も分からないですけど、薬物が入っているかどうかをこれから検査します」
特別に鑑定作業の一部を取材させてもらいました。特殊な薬剤に採取した尿を加え、機械で振動を与えることで、薬剤と尿を混ぜ合わせます。
「尿とか血液に含まれている薬物ってすごく微量なので、微量だし尿とか血液の妨害になるような成分もたくさんあるので、なかなか直接そのまま検査してすぐ分かるというのは難しい」
混ぜ合わせた液体から薬物と不純物を取り除き、さらに温めながらガスを噴射。尿に含まれる成分を濃縮していきます。乾ききった容器は、一見、何も入っていないように見えます。しかし、目に見えない薬物の成分が残っている可能性もあります。再び薬剤を加えて、分析装置にかけます。
事務所用のプリンターほどの大きさの「ガスクロマトグラフ質量分析装置」。薬毒物の分析では広く使われているメジャーな装置です。鑑定結果を待つこと約30分...
「ここにピークと言うんですけど、ここに出ている成分が詳しく調べてみると『エチゾラム』という成分が検出されました」
モニター上に表示されたグラフ。その一部分に突出した反応が見られました。「エチゾラム」は、精神安定の作用を有する薬です。
「摂りすぎたりすると催眠作用もありますので、眠気やひどいと意識障害などきたしたりするような作用もあります」
尿から成分が検出されたことで、対象となった人物が、何らかの形で体にこの薬を摂取したであろうということが分かりました。科捜研では1ミリリットル当たり、約1億分の1グラム。一般的な家庭のお風呂に耳かき一杯分の薬物が溶けていたとしても鑑定できるといいます。
「間違った結果を出してしまうと、その事件を誤った方向に進ませてしまうことになりますので、その結果、被害者だったり、疑いをかけられている人であったりの人生そのものを大きく狂わせてしまうという結果につながりますので、そういうところにすごく責任を感じていますね」
時刻は正午…昼ごはんの時間です。執務室に戻った嶋田さん。すると、科捜研の山口和樹所長が何か準備していました。手作りのシーフードカレーです。
「手作りです。スパイスのブレンドも手作りです」(山口所長)
緊張が続く科捜研の仕事。ほっとする瞬間も必要です。ドラマ「科捜研の女」では、スイーツの差し入れが定番ですが、県警科捜研では所長の手料理のようです。
「労ってあげないとね」(山口所長)
嶋田さんは、辛すぎるカレーは苦手なようですが...そこは科捜研所長、料理も科学的です。
「舌の構造に合わせて、甘さから最後は辛みを感じられる、そういう風に絶妙に作ったから」(山口所長)
嶋田さんは、科捜研歴17年。これまで様々な事件の捜査に携わってきました。2016年12月に対馬市で起きた父親と娘の2人の尊い命が奪われた殺人放火事件。残忍な手口に世の中は震撼。逮捕まで50日に及ぶ難事件でした。嶋田さんは、事件現場でガソリンが使用されたことを科学の力で解明。解決に貢献しました。
「放火殺人…大きい重大な事件でしたからね。自分たちが現場に行って、犯人を捕まえることはできないんですけど、自分たちの鑑定で事件の事実の解明に役立つものですので、一番は被害者の無念を晴らせるように真実がどうだったのかというところを示せるように考えながらやっていました」
また2023年、大手中古車販売店が意図的に店の前の街路樹を枯らした器物損壊事件。大きな社会問題になったこの事件でも、諫早市の現場の土壌に残っていたわずかな除草剤の成分を検出し、捜査に貢献しました。
嶋田さんには、仕事をする上で大切にしていることがあります。
「冷静に、客観的に、淡々とやるというのを心がけていますね」
嶋田さんは、2015年4月に県警が実施している「大学院博士課程入学制度」を活用して母校の熊本大学の大学院に入学し、「博士号」を取得しました。培った知識を現場にフィードバック。鑑定業務の傍ら、鑑定の精度を上げるための研究も続けています。
「もっと正確で、確かな鑑定結果が出せるようになるというところを目指して研究に取り組んでいます」
時刻は午後3時45分。事務所で荷物をまとめる嶋田さん。そのまま県警本部を後にして、車でどこかへ向かうようです。
「子どもたちの保育園と、学童に向かっています」
3児の父でもある嶋田さん。奥さんも警察官です。子どもの送り迎えがある日は、育児休暇も利用しています。
「大変なんですけど、こういう休暇の制度とか使わせてもらっているので、それで何とかやっていけていますね」
保育園で1歳の次女をお迎えした後、そのまま学童保育から長男(11)と、長女(9)を連れて家に帰ります。家に帰れば、子どもたちの宿題を見てあげたり、夕食を作ったり。お父さんの顔になります。
「自分が仕事に打ち込めるのは家族みんな、妻をはじめ支えてくれてるおかげなので」
ソファーに並んで寛ぐひととき。職場とは違う柔らかな時間が流れます。事件の捜査の最前線を支える嶋田さん。その嶋田さんも「家族」の存在に支えられています。