雲仙・普賢岳の噴火災害対策に奔走した元島原市長鐘ケ江管一さんが22日、肺炎のため94歳で亡くなりました。災害当時、現地を見舞われた上皇さまからも、遺族にお悔やみの意が伝えられました。
昨夜、島原市の江東寺で営まれた通夜には、遺族や関係者ら約150人が参列し、鐘ケ江さんの冥福を祈りました。
鐘ケ江さんは、43人が犠牲となった1991年6月3日の大火砕流災害当時、島原市長として災害対応の陣頭指揮を執り、「山が鎮まるまではひげをそらない」と誓って奔走する姿から「ひげの市長」と呼ばれました。退任後も著書や講演を通じて防災の教訓を語り継ぎ、勲四等瑞宝章を受章しています。
鐘ケ江管一さん(当時92):
「風化したらいかん。これだけの犠牲者が出てここまで復興してきたこと、それを忘れちゃいかんと思う。語り継いでいかなければならない」
遺族は挨拶で、災害当時、現地を見舞われた上皇ご夫妻の侍従から「上皇陛下が大変悲しまれている」と、お悔やみの電話を受けたことを明らかにしました。
古川隆三郎島原市長(69):「あの火砕流の夜、小学校の避難所である体育館に憔悴しきって来られた鐘ケ江市長を僕は当時消防団で覚えてるんです。でもそのあと、『ひげの市長』さんとして噴火災害に敢然と立ち向かって行かれたこと。そして持ち前のバイタリティーな行動力で、色んなやっぱり国の制度を変えるくらいの復興の原動力となられたことに対して心から感謝と、最大の敬意を払いたいと思います」
25日正午から営まれた葬儀・告別式では、参列者が最後の別れを惜しみ、棺は火葬場へと送り出されました。