24日、雲仙・普賢岳噴火災害対策に奔走した鐘ケ江管一元島原市長の通夜が営まれました。
24日夜、島原市の江東寺に、遺族や関係者ら約150人が集まり、冥福を祈りました。
鐘ケ江さんは、43人が犠牲となった1991年6月3日の大火砕流災害当時、島原市長として災害対応の陣頭指揮を執り、「山が鎮まるまでは、ひげをそらない」と誓って奔走する姿から「ひげの市長」と呼ばれました。
退任後も著書や講演で防災の教訓を伝え続け、勲四等瑞宝章を受章。22日、肺炎のため94歳で亡くなりました。
2023年6月3日 鐘ケ江管一さん(当時92):
「風化したらいかん。これだけの犠牲者が出て、ここまで復興してきたこと、それを忘れちゃいかんと思う。語り継いでいかなければならない」
遺族は挨拶で、災害当時、現地を見舞われた上皇ご夫妻の侍従から「上皇陛下が大変悲しまれている」と伝える電話があったと明かしました。
古川隆三郎 島原市長(69):
「あの火砕流の夜、小学校の避難所である体育館に憔悴しきって来られた鐘ケ江市長を僕は当時消防団で覚えてるんです。でもそのあと、『ひげの市長』さんとして噴火災害に敢然と立ち向かって行かれたこと、そして持ち前のバイタリティーな行動力で、色んなやっぱり国の制度を変えるくらいの復興の原動力となられたことに対して、心から感謝と、最大の敬意を払いたいと思います」