雲仙・普賢岳の噴火災害で、災害対策や復興に奔走した元島原市長・鐘ヶ江管一さんが22日に亡くなりました。94歳でした。
鐘ヶ江さんは43人が犠牲になった1991年6月3日の普賢岳の大火砕流が起きた時の島原市長でした。災害対策や復興に向けて陣頭指揮をとり、被災後、「山が鎮まるまで」という願掛けでひげを伸ばし続け「ひげの市長」として全国的に知られました。
市長を退任してからは自然災害と危機管理をテーマに、全国で講演活動を続け、2002年からは雲仙岳災害記念館の名誉館長を務めました。
鐘ヶ江さんは肺炎のため、22日、島原市内の病院で亡くなりました。94歳でした。
仮通夜は23日午後6時から、通夜は24日午後7時から、葬儀・告別式は25日正午から、いずれも島原市中堀町の江東寺で営まれます。