長年にわたり雲仙・普賢岳の噴火災害などの研究に力を尽くした九州大学名誉教授太田一也さんが亡くなりました。90歳でした。
雲仙市国見町出身の太田さんは1990年11月に始まった雲仙普賢岳の噴火当時、九州大学地震火山観測所の所長を務め、火山活動の観測や監視、避難や防災の行政への助言で中心的役割を担いました。
消防団員や警察官ら43人が犠牲となった1991年6月3日の大火砕流発生前には島原市に大火砕流の危険性を警告。初の避難勧告発令につながりました。
太田一也さん(2020年取材):
「危険が迫った場合、命にかかわる場合は無視してはいけないよ、いろんな避難勧告にせよ、我々火山の専門家の忠告を。それは本人のためです、人のためじゃなくて本人のためなんです。家族のためなんです」
退官後もふるさと島原で噴火災害の記録にあたり去年、約40年にわたる研究の結果を本にまとめました。
太田一也さん(2024年取材):
「これでやっと俺の務めが終わった。もうこれ以上のことがないから」
太田さんは体調を崩し去年10月から治療を続けてきましたが、15日午後5時15分、慢性呼吸不全のため亡くなりました。90歳でした。
通夜は16日午後7時から。葬儀は17日午後1時から島原市のマルイチ葬祭第一斎場で営まれます。
通夜を前に太田さんの長男で喪主を務める祥紀さん(59)が報道陣の取材に応じました。
太田さんの長男・太田祥紀さん(59):
「学者が避難するよう行政に対して口を出すとかということはあまり無かった時代というか、日本があまり経験していなかった。今はそういうことはあると思うんですけど、そういった時に結構勇気のいったことだとは思うんですけど提言していったり、家族としてはそういったことが非常に功績として残ったかなと思っております」