80年前の8月9日、この空で弾けた一発の原子爆弾は、その年だけで約7万4000人の命を奪い、放射線はいまなお被爆者の心身を苦しめています。
午前6時、爆心地から約500メートルの浦上天主堂では犠牲者を追悼するミサが開かれ、約200人が祈りを捧げました。80年前、東洋一とも言われた大聖堂は原爆により倒壊。約8500人の信徒が犠牲となりました。
被爆3世・小島ほの楓さん(21):
「とにかく本当に核兵器がこの世界から無くなって、まだまだ戦争があってる国もたくさんあるのでその国の戦争が終わって平和になればいいなと思っています」
被爆2世・長谷崎澄子さん(69):
「80年って一つの節目であるんでしょうけれども、80年だから、81年だからということじゃなくて、犠牲者を出した遺族にとっては毎年が負の記念日なんですよね。なんでこういうことが起きるのかっていうのを、気づかなきゃいけないのは人間なんですよね。だからそれを気づくことができるようにという意味で、ずっと毎年繰り返し祈ってます」
時折、雨が強まる中、平和公園では早朝から被爆者やその家族、若者たちが祈りを捧げに訪れました。
長与町から・岩﨑由美子さん(65):
「父が原爆に遭いまして、父の兄妹たちはみんな亡くなりました。原爆で亡くなられた方の御霊が光となって天に行かれるように。そしてご家族の方の痛みが早く癒えるように平和を願うことをずっと忘れないでいたいなって」
埼玉から観光(大学2年生)・仰木桜輔さん(20):
「これからの日本を担う若者として、平和を維持していかないといけないという気持を持ってお祈りさせてもらいました」
爆心地公園で開かれる若者・高校生早朝集会は雨のため、爆心地公園と長崎市大黒町の自治労会館の2カ所で行われました。爆心地公園には全国の高校生平和大使ら約40人が集まり、黙とうを捧げたあと、原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」をつくって、核兵器廃絶と平和への願いを発信しました。
活水高校3年・島田朱莉さん(17):
「被爆80年という節目の年を迎えて、私たち高校生としてもこれからやっていかないいけない責任だったり、核への関心を高めています」
岩手の高校生・照井花さん(18):
「戦争への意識が遠い人がいると思うので、まずは事実を伝えていくこと。伝えられたことをみんなの心の中でとどめるのではなく、それを共有して、対話をするということを岩手でも行っていきたいと思います」
平和祈念式典にはウクライナ侵攻以降、市が招待していなかったロシアの駐日大使が4年ぶりに参列しました。
ロシア ニコライ・ノズドリェフ駐日大使:
「(Q.世界ではまだ戦争が起きてます)まあそれはそうですけど(Q.それを解決するためにどういったことが必要ですか)それは色々手段があると思うんですが、全世界規模で見たら分離線が残念なことに依然として残っていると思いますが、それはまさに軍事ブロックの活動です。その軍事ブロックを解体という問題を乗り越えれば、全世界の平和への道も開くんじゃないかなと私は個人的に思います」
また去年、市がイスラエルを招待しなかったことで大使が参列しなかったアメリカ、イギリス、フランスのほか、イスラエル、インド、6つの核保有国の大使らが参列しました。市は台湾を招待していませんでしたが、台湾から参列の意向があり、受け入れた一方、中国は欠席しました。
イスラエル コーヘン大使:
「私は、ここ長崎で命を落とされた方々に敬意を表し、イスラエルを代表してここに立ちました。私たちはここに来られたことを誇りに思い、ここで命を落とされた方々と長崎の皆さまの魂の安らぎをお祈りします」
原爆が炸裂した午前11時2分に鳴り響いた平和公園の「長崎の鐘」。同じ時間に浦上天主堂では原爆開発「マンハッタン計画」に携わったアメリカ人医師の孫が募った寄付で復活した鐘と、被爆した鐘が2つそろって80年ぶりにその音を鳴り響かせ、長崎は祈りに包まれました。
平和宣言で鈴木市長は、長崎の被爆者、故・山口仙二さんの国連での演説を引用して、核兵器の非人道性と再び被爆者をつくるなという心からの叫びを共有しました。
鈴木市長:
「『私の顔や手をよく見てください。世界の人々そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみを例え一人たりとも許してはならないのであります。ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・ウォーノー、モア・ヒバクシャ」
被爆者代表「平和への誓い」は、過去最高齢・93歳の西岡洋さんが務めました。13歳の時爆心地から3・3キロ離れた長崎市鳴滝町で被爆しました。
平和への誓い・西岡洋さん(93):
「絶対に核兵器を使ってはならない。使ったらすべてがおしまいです。皆さん、この美しい地球を守りましょう」
今年の児童合唱は被爆校の山里小学校と城山小学校の児童が100人が初めて合同で行い福山雅治さん(56)が山王神社の被爆クスノキを題材に作詞・作曲した「クスノキ」を歌いました。
日本原水爆被害者団体協議会代表委員・田中煕巳さん(93):
「広島と長崎の式典を通じて市と自治体と市民とそれから参列者が決意したこと心を誓ったことを世界の人々が受け止めて核兵器の廃絶まで大きくしていただきたい。そういう意味で80年の式典としてね非常に力強い式典だった」
献水を務めた・森重子さん(89):
「ロシアとかアメリカとかのトップの方たちがどう思っているのかやっぱり自分の国を守ろうと思って核を使おうとする人たちが多いのではないのかなと思うだから自分の国だけではなく世界的にものを見てもらいたい」
式典後、石破総理は原爆資料館と追悼平和祈念館を訪問。その後、市内のホテルで被爆者4団体と国が定める被爆地域の外にいたとして被爆者と認められない「被爆体験者」の3団体の代表者と面会しました。代表者らは石破総理に対し、核兵器禁止条約の署名・批准し、核なき世界の実現のためのリーダーシップを発揮すること、長崎の「被爆体験者」も広島と同様に被爆者として認定することなどを求めました。
石破茂総理大臣(68):
「核を持っている国も持っていない国もこれが参加をする仕組み、これはNPT体制のほかはございません、我々として核保有国も参加しているNPTにおいて核の削減、究極的には核の廃絶というのはこの体制において広島アクションプランにおいて進めていきたいと思っています」
また同席した福岡厚生労働大臣は被爆体験者への被爆者健康手帳の交付について、「被爆者と認定するのは困難」との考えを伝えました。
県平和運動センター被爆者連絡協議会・川野浩一議長(85):
「原点に立った出発点にしたいと思ってまして期待していましたけど中身としては抽象的な回答で、これからさらに具体的に詰めていくという。時間の問題ですから我々も一つの起点としてやりますけど、ちょっと残念だったなという感じがします」
第二次全国被爆体験者協議会・岩永千代子会長(89):
「核廃絶、ノーベル平和賞ももらいましたからね。もっと真剣に私たちや核に向き合うためにはどうすればいいか模索するのであれば私たち被爆者、被爆体験者の思いをもっと大切に取り扱ってもらいたいなって」
今年の式典で新たに3167人分の原爆死没者名簿が奉安され、1968年以降の累計の奉安数は20万1942人となりました。