長崎は被爆から79年となる原爆の日を迎えました。
79年前の8月9日、アメリカ軍が長崎に原爆を投下し、その年だけで7万3884人が死亡、7万4909人が重軽傷を負いました。
爆風で倒壊し、約8500人の信徒が犠牲になった浦上天主堂では朝から追悼のミサがあり、約200人が祈りを捧げました。
平和公園にも、市民らが訪れ、原爆の犠牲者に手を合わせました。
長崎市民:
「一瞬にして長崎では約7万人の命を奪った原爆がここが最後の被爆地となるよう世界に訴えて続けていかないと唯一の被爆国の日本がそれをやっていかないといけないと本当に思っています」
爆心地では17都道府県23人の第27代高校生平和大使や署名運動のメンバーらが集会を開き、原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」をつくって、核兵器廃絶と平和への願いを新たにしました。
長崎西高校2年・大原悠佳さん(16):
「被爆者の声がこれからも残り続けるように声を上げ続けていきたい」
平和祈念式典には、遺族や被爆者、岸田総理大臣などのほか、市が招かなかったロシアとベラルーシ、イスラエルを除く、過去最多100の国と地域の駐日大使ら約3100人が参列しました。日本を除くG7、6カ国とEUは、市が不測の事態の発生を懸念し、ガザで戦闘を続けるイスラエルを招待しなかったことからそろって大使が欠席し、公使などが代理出席しました。
式典では、新たに3200人分の原爆死没者名簿が奉安され、1968年以降の累計の奉安数は19万8785人となりました。そして原爆が炸裂した午前11時2分、犠牲者に黙とうがささげられました。
平和宣言・鈴木史朗長崎市長:
「原爆を作る人々よ!しばし手を休め、眼をとじ給え」
平和宣言で鈴木市長は、被爆詩人・福田須磨子さんの詩を読み上げて被爆の実相を伝え、核保有国と核の傘に頼る国の指導者に「核兵器廃絶に向け、大きく舵を切るべき」と訴えました。