長崎は9日、被爆から79年となる原爆の日を迎えました。平和祈念式典は、長崎市が不測の事態の発生を懸念し、パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエルを招待しなかったことから日本を除くG7、6カ国とEUの駐日大使が欠席し、代理の公使らを出席させる事態となりました。
79年前の8月9日、アメリカ軍が長崎に原爆を投下し、その年だけで7万3884人が死亡、7万4909人が重軽傷を負いました。
爆風で倒壊し、約8500人の信徒が犠牲になった浦上天主堂では9日朝、追悼のミサがあり、約200人が祈りを捧げました。
小学1年生の時に高島炭鉱の社宅で爆風を受けた・中村達見さん(86):
「イスラエルの問題がありましたので戦争をしている国が何で参加するのかと。市長の判断は正しかったなと私は思います。親戚の者も亡くなっておりますし、自分自身は直接(被害は)ありませんでしたけれども、犠牲者の方がたくさんおられるわけですから、核兵器の競争はやめてもらいたい。これだけは本当に思います」
4歳の時に西山町の自宅で被爆・山田笑子さん(83):
「もう79年経ったのかなという感じもするし、(世の中)変わらないよね。原爆の怖さを、本当の怖さを知ってから政治的な思惑でなくて本当に平和を祈っていたら、きっと平和な世の中になるだろうなって思ってますけど、なかなか難しいよね」
平和公園にも、遺族や市民らが訪れ、原爆の犠牲者に手を合わせました。
被爆2世の男性:
「多くの人が亡くなられている。世界がいまだに争いごとを続けて死者がいっぱい出ている。ウクライナにしてもだから、人類って反省がないのかと思う」
県外から来た男性:
「とにかく核廃絶。世界各国が経済中心に動いているので、その辺を考えなおしていただきたいということと、原爆で亡くなられたの冥福を祈った。何年経っても同じことの繰り返し。(核廃絶が)前に進んでいないことが現状でもう少し各国の首脳が考え直す時ではないかなと思う」
長崎市民:
「一瞬にして長崎では約7万人の命を奪った。原爆がここが「最後の被爆地」となるよう世界に訴えて続けていかないと、唯一の被爆国の日本がそれをやっていかないといけないと本当に思っています」
爆心地では17都道府県23人の第27代高校生平和大使や署名運動のメンバーらが集会を開き、原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」をつくって、核兵器廃絶と平和への願いを新たにしました。
第27代高校生平和大使・長崎西高2年・大原悠佳さん(17):
「高校生が全国から集まり思いを深めたことを通して、もっと核廃絶に対する思いも強まったので、長崎で生まれ育った高校生だからこその経験を大切にしていきながら、全国に広めていくとともに被爆者という存在を忘れていかれないように、被爆者の声がこれからも残り続けるように声を上げ続けていきたい」
第27代高校生平和大使・長崎東高2年・津田凛さん(16):
「平和活動においても被爆者の方々の直接の思い、経験を聞くことが出来なくなってしまっていることが現状。それをどう乗り越えるかが私たちの課題。被爆者の方々から受け取った思いを私たち高校生平和大使が次の世代へ繋げていかないといけない」
平和祈念式典には、遺族や被爆者、岸田総理大臣などのほか、市が招かなかったロシアとベラルーシ、イスラエルを除く、過去最多100の国と地域の駐日大使ら約3150人が参列しました。日本を除くG7、6カ国とEUは、市が不測の事態の発生を懸念し、ガザで戦闘を続けるイスラエルを招待しなかったことからそろって大使が欠席し、公使などが代理出席しました。
式典では、新たに3200人分の原爆死没者名簿が奉安され、1968年以降の累計の奉安数は19万8785人となりました。
山王保育園・森重丹琴さん(6):
(Q.これからどんな世界になってほしい?)「平和な世界」
山王保育園・松本健豊くん(6):
(Q.どんな世界がいや?)「戦争してるところ」
平和への誓いを務めた・三瀬清一朗さん(89):
「平和っていうのは人類共通の世界遺産ですよ。最後の結びの言葉に入れましたけど、私だけの願いじゃなくして全部の願いですから平和っていうのは。ただもうそれだけ。それ以上のことは何もないです」
ジャパネットたかた創業者・髙田明さん:
「平和大使の言葉で自分たちの行動は微力だけど無力じゃないっていう言葉があるでしょう。あれ最高の言葉だと思うんですよ。その微力な力が集まった時にやっぱり世の中って変わっていくから、まだその微力の集まり方が足らないんじゃないか。これは日本だけじゃなくて連携して世界中で、全部の世代じゃなくて若い人たちが立ち上がって、みんなを巻き込んでいくっていう、そういう世界を作ってほしいなと」
長崎被災協被爆2世の会・山崎和幸会長:
「極論ですけど、こういう式典には戦争をやってる、侵攻した国の代表、侵攻された国の代表、全部呼べばいいんですよ。侵攻した国の大使だから呼ばないとかとかなると今回みたいな思惑の違いでね、色んな問題が出てきて、もうやめたということになってしまうので、全部の代表者に聞いてもらう。この式典でその方針で来年からはやってもらいたいっていうふうに思ってます。僕らはそのように進言します。市役所の方に」
他界した夫が被爆者・若杉昭子さん(80):
「とにかく原爆は長崎でおしまいよねと訴えています。絶対長崎でおしまいにしてほしい、願ってます」
被爆4世・長崎南山高校3年・原田晋之介さん:
「被爆者の言葉だったとか、被爆者の姿っていうのは僕たちが後継者として残していかないといけないものだなと感じました」
被爆4世・長崎南山中学2年・辻実弘さん:
「被爆者が伝えたいことを世界中に発信して、世界中がそれを知ってくれるということが大事だと思います」
去年他界した妻が被爆者・大阪在住(81):
「原爆というのはその時亡くなる人もいれば、ずっと病気をしながら苦しみながら生きていく人もいるので『ノーモア』本当に大事だなとつくづく思いました」
娘(53):
「母は被爆に2歳であって色んな病気と闘っていた。私も被爆2世として後世に向けて子どもたちや、いま大阪に住んでいるので被爆体験の話をしていけたらなと感じております」
孫(大学4年生):
「ウクライナとかイスラエルとかの戦争の話いっぱい見てて、右から左に戦争とかのニュースを流すだけじゃなくて、自分たちの世代が核兵器とかの廃絶に向けてもっと取り組んでいかないといけない」
アメリカ出身(東京在住)インターナショナルスクール教師(30):
(イスラエルを招待しなかったことについて)
「長崎市長は正しい判断をしたと思います。パレスチナに自由を!市長がその立場をとったことに敬意を示すし、大量虐殺を支援する者は、この平和のイベントに来るべきではないと思う。私たち人類は過去の過ちから学んでおらず、繰り返していることはとても悲しい。これからの世代は、核兵器や大量虐殺のない平和で溢れる世界で暮らせることを願っています」
日本被団協・田中熙巳代表委員(92):
(イスラエルを招待しなかったことについて)
「長崎市の発言はおかしいと思いませんか?なんて言うから、そんなこと思わないよ。市民に気持ちだからそれは大事にすべきだと私は答えています。今もそう答えます。大使が出てこないとか、G7の大使だとかそういう政治的な発言をするのは良くないと私は言った。誰が出席するかしないかで核兵器の問題をどうこう議論をするべきじゃないと思う。核問題、こと核問題についてはアメリカの言う通りにはなりませんって言えばいいんですよ。式典に来ると原点というのかな、その時のことを鮮明に思い出しますからね。核戦争になったら人類本当に破滅するよということをみんなが分かるようにもっていかないと」