長崎スタジアムシティの一角に、戦時中、外国人俘虜収容所があったことを伝える銘板が設置されました。
移設式には、収容されたオランダ人の遺族らが参列しました。銘板はこれまで、近くの高架下に仮設されていましたが、長崎市幸町の長崎スタジアムシティサウス前の歩道の植え込み付近に、県が工事費などで100万円を負担し、移設しました。
長崎スタジアムシティは第2次世界大戦中、三菱重工長崎造船所幸町工場でした。
その敷地内には「福岡俘虜収容所第14分所」が設けられ、旧連合国のオランダ人やオーストラリア人などの捕虜約540人が収容され、原爆でオランダ人8人が亡くなりました。
2022年、長崎スタジアムシティの建設工事中に、れんが積みの構造物などが出土したことを受け、「第14分所の保存を求める市民の会」が、より出土場所に近い場所に移設しようと、市や長崎スタジアムシティを運営する「リージョナルクリエーション長崎」と協議を重ねてきました。
父親が元捕虜 エルウィン・ヴァン・ハーレンさん(65):
「このプレートが未来の世代に、平和を大切にし、理解を求め、私たちの先人たちの強さを称えることの大切さを静かに伝え続けることを願います」
市民の会は、建設工事中に出土した構造物の写真なども一緒に設置できないか、今後、市と協議していきたいとしています。