「被爆80年長崎メディア共同プロジェクト~いま、ひとつになる~」
NCCの下田朋枝アナウンサーが爆心地から約500メートルの場所に建つ浦上天主堂の前からお伝えします。
下田朋枝アナウンサー:
かつては「東洋一の大聖堂」と呼ばれた旧浦上天主堂。クリスマスなどに合わせて2つの鐘の音が鳴り響き、信徒や地域の人たちから親しまれてきました。しかし原爆によって天主堂は破壊され、中にいた神父や信徒のほか、周辺に住んでいた信徒らも含めて8500人が犠牲となりました。こちらに残されているのは、当時、鐘が収められていた鐘楼の一部です。「被爆遺構」として原爆の悲惨さをいまに伝えています。
いまの浦上天主堂は被爆から14年後に再建されました。吹き飛ばされた2つの鐘のうちの1つは無事でしたが、もう1つは大破し、北側の鐘楼は「空」のままでした。そのため1つの鐘だけが鳴らされてきましたが、7月17日、北側の鐘楼に新たな鐘が収められました。
被爆80年の今年に向けて、鐘を復元させる計画が進めてきたのが、アメリカ・ウィリアムズ大学のジェームズ・ノーラン・ジュニア教授です。ノーラン教授の祖父は原爆を開発した「マンハッタン計画」に参加した医師でした。ノーラン教授に鐘の復元を提案したのが、被爆2世で、カトリック信徒の森内浩二郎さん(72)です。ノーラン教授は、アメリカ各地で原爆の被害を伝える講演を重ねて、600人以上のカトリック信徒らから集めた寄付をもとに鐘を復元。新たな鐘は「希望の聖カテリの鐘」と名付けられ、壊れた鐘と同じ青銅製で、見た目や大きさも忠実に再現されました。ノーラン教授と森内さんは7月17日、浦上天主堂に寄贈された新たな鐘を共に鳴らして、復活を祝いました。
ウィリアムズ大学 ジェームズ・ノーラン・ジュニア教授(63):
分断が深まる今の世界で、鐘が希望と平和を育む団結の象徴になることを願っています
被爆2世・森内浩二郎さん(72):
今、聖カテリにお願いした。永遠に鳴り響いて下さいと。被爆で(鐘が)破損するような出来事が今後絶対起こらないようにと願いも込めて
下田アナウンサー:
私がいるのは、北側の鐘楼の中です。特別に許可を頂き、中に入らせていただきました。長年、鐘がない「空」の状態が続いてきましたが、現在は復元された「希望の聖カテリの鐘」が収められています。
原爆がさく裂した8月9日午前11時2分、被爆の記録を受け継ぐ南側の鐘と共に、80年ぶりにそろってその音を鳴り響かせます。かつて対立した日米の絆をつなぐ鐘の音です。分断が深まる世界情勢の中、被爆80年を迎えた被爆地・長崎で平和を願う鐘の音を聞いた世界の人たちが思いを寄せて、争いのない世界が少しでも早く訪れるよう願います。