純心女子高校で2度の全国優勝を果たし、体育の名門・筑波大学に進学した選手がいます。高校卒業から5年。彼女の今の思いとは…
ホップ、ステップ、ジャンプ、陸上競技のフィールド種目の一つ・三段跳び。水たまりをいかに少ない歩数で渡りきれるか、という遊びが競技化したと言われています。その種目を専門とするのが佐伯舞子選手です。
長与第ニ中時代には四種競技で県の中学記録を樹立した佐伯選手は、純心女子高校に進学後、三段跳びの才能が開花。当時、県記録を保持していた山本久美子監督(12m54cm・1999年)の指導のもと、20年ぶりに県記録を更新(12m64cm2019年)。全国大会で2度の優勝を果たし、地元の期待を胸に日本代表選手を目指して、国内トップクラスの体育の名門・筑波大学に進学。
高校卒業から5年。大学での4年間を振り返ってもらいました。
佐伯舞子選手:
「大学4年間を経てずっと先生方にも言われていた言葉があるんですけど『競技やめた後の人生のほうが長いよ』っていうふうに言われていたのをずっと思っていたので」
思い描いた通りにはなりませんでした。入学してまもなく、腰痛を発症。競技人生で初めての大きなけがでした。
佐伯舞子選手:「競技できない自分、結果出せない自分の何に価値があるんだろうというのをすごく考えるようになって」
試合にも出場できない期間が続く中、新たに力を注ぎ始めたのが学業でした。部活動と並行しながら、運動栄養学を専門に勉学に励みました。勉強にのめりこめたのは、長崎日大の監督を務める父・直也さんの影響が大きかったと話します。
佐伯舞子選手:「小さい頃から父に練習を見てもらうことが多かったんですけど、父が根拠を持って練習するにしても説明してくれていて。タイムをとってデータにして、こういう結果だからこうしてみようかという練習をずっとしていたんですけど、そういうのがもろ学べる環境に自分は今いるんだなというのがちょっとずつ気づいてきて」
けがから復帰した3年時には、科学的な視点を競技にも生かし、日本インカレで7位入賞。そして、卒業時には成績優秀者として表彰を受けました。去年の春、より深く学びたいと競技を続けながら、大学院に進学。
先月、高校卒業以来、初の長崎での三段跳びの試合に臨みました。恩師の山本監督や父・直也さんが見守る中での跳躍です。試合の前に体調がすぐれなかったこともあり、高校生にトップを譲る結果。高校時代にマークした県記録の自己ベスト(12m64)には1m以及ばず、結果は11m58。
試合後には涙する姿も。競技以外の世界への広がりを見出しながらも、アスリートとして陸上への熱量が薄れていないことを実感しました。
大学院を卒業後は、地元・長崎に戻って働きながら競技を続けることを希望しています。
佐伯舞子選手:「自分が納得してということのももちろんそうだけど、これまで陸上を通して支えてもらった人に頑張ったねと、思ってもらえるような結果で終わりたい」