被爆80年を前にまたひとり被爆の実相を語り継いだ人がこの世を去りました。長崎原爆被災者協議会の副会長小峰秀孝さんが亡くなりました。83歳でした。
小峰さんは4歳のとき、爆心地から1.5キロ離れた長崎市西郷狩股の自宅近くで被爆し手や足などにやけどを負いました。右の足首は曲がらないままで「腐れ足」とあだ名をつけられるなどいじめや差別を受け続けました。
1998年の平和祈念式典では被爆者を代表し「平和への誓い」を務めました。
故・小峰秀孝さん(1998年):
「原爆は私の両手や腹部両足を容赦なく焼いたのです。かろうじて生き延びることはできましたが原爆によるケロイドで右足首から先は到底人間の足とは思えないほど醜く変形してしまいました。心も傷も痛む時、今日より明日は痛みも和らぐだろう。そんな思いで生きてきました」
長崎原爆青年乙女の会では、2016年から会長、ことしのノーベル平和賞に選ばれた日本被団協の県組織、長崎被災協では2019年から副会長を務めました。
11月24日、食道がんのため長崎市内の病院で亡くなったということです。83歳でした。葬儀などは既に近親者で執り行われたということです。