マレーシアから長崎大学に留学しているアハマド イマン ハムザ ビン アハマド スフィアンさん(22)愛称イマン。 長崎在住4年目の彼が、番組の企画で長崎市の平和公園とその周辺を歩きました。
「長崎市永井隆記念館」で永井博士の孫 徳三郎さんに会い、永井博士の「隣人愛」について話を聞いたイマンは、原爆で大きな被害を受けた浦上天主堂を目指しました。
爆心地から約500mにあった天主堂は、原爆で建物のほとんどが破壊されました。多くの信者たちも亡くなりました。倒壊した鐘楼は、今もそのままの姿で残されています。
イマン
「そのまんまですね。被害の一部が保存されているのは、とても大事だと思っています。実際に見ないとわからないということもありますから当時の被害の大きさがわかるように残すのは非常に意味があると思います」
浦上天主堂主任司祭の山村憲一神父を訪ねました。
山村神父
「原爆が炸裂した直後は鐘楼は残っていたんですよ。爆風に耐える形で。しかしその日の夜になって崩れ落ちたんです」
2つの鐘楼にあった鐘のうち南側の鐘は、がれきの中から無傷で見つかり、今も現役です。大破した北側の鐘は無残な姿で戦争の悲惨さを伝え続けています。
天主堂は1959年に2つの鐘楼を持った姿で再建されていますが、戦後80年北側の鐘は失われたままになっています。
ところが今年、失われた鐘が復活することになりました。アメリカのカトリック信徒らが、「同じカトリックという宗教を守っている人たちを自分たちが助けよう」という考えのもと、募金などで資金を集め、新しい鐘を贈ってくれたのです。寄贈された「希望のカテリの鐘(仮称)」は、北側の鐘楼に吊り下げられます。
山村憲一神父
「戦争で傷ついたものを元に戻す力を私たち人間は持っているんだなと感じています。これが平和へとつながっていくように」
8月9日の午前11時2分 80年ぶりに双塔の鐘が鳴り響きます。
イマン
「ここならではの歴史とここならではの学びが得られました。貴重な話も聞けたし、それを通して被爆地長崎は特別な場所だなと思いながら歩きました」
ノーモア・ナガサキ194508091102
8月9日(土)0:00~24:00
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