マレーシアから長崎大学に留学しているアハマド イマン ハムザ ビン アハマド スフィアンさん(22)愛称イマン。 長崎在住4年目の彼が、番組の企画で長崎市の平和公園とその周辺を歩きました。
スタート地点は、「原爆落下中心地」。80年前の8月9日午前11時2分に上空500メートルで原爆がさく裂し、長崎市に大きな被害をもたらしました。
イマン
「毎年8月9日にここに来ているんですけど、国内外、様々なところから訪れる人がいて、世界的にものすごく大事な歴史が起きていた場所だと思う。長崎に住む、しかも外国人として『核兵器廃絶しよう』というメッセージは、世界中の人々に伝えなければならないと思っています」
公園の一角に原爆が一瞬にして人々の日常を奪った事実を今に伝える場所があります。被爆当時の地層です。がれきの中に食器や日用品など暮らしの証しが残っています。
イマン
「悲惨な状況がまさにこれだったということですよね。ここ一帯がこういう状況だったと想像したら考えさせられますよね」
続いて8月9日に平和祈念式典が開催される平和公園に向かいます。公園へのエスカレーターの横に防空壕があるのを見つけました。ここは、爆心地から約100メートルととても近い距離にあります。
イマン
「すごく狭くて、自分が避難することを想像すると、苦しいというか考えさせられます」
公園には、雨にも関わらず多くの人が訪れていました。海外の人も少なくありません。海外の人が原爆について、平和についてどんな思いを抱き、この地を訪れているのか尋ねてみました。
イマン
「あなたにとって平和とはなんですか?」
ポールさん(カナダから)
「幸せであること。私たちそして私たちの子どもも安全が感じられること。すべての人が充実した人生を送ること」
祖父と孫で核保有国フランスから来ていた2人にも聞いてみました。
イマン
「なぜ平和公園へ来ましたか?」
エドリアンさん(孫)
「この場所の歴史に興味があり、当時の事情などについて学びたくて」
ジャッキーさん(祖父)
「2年前に広島も訪れた。人類のことを思うととても悲しい気持ちになる」
公園内にある「長崎の鐘」。1977年に浦上天主堂のアンジェラスの鐘をモチーフに設置されました。毎月9日の午前11時2分に打ち鳴らされていて、イマンも何度か参加したことがあります。
イマン
「長崎の人と日本語話せない海外の方とか、学生とか一緒に鐘を鳴らしていて、言語を超えて『平和』という同じ思い持っていることはすごいと思う」
平和公園には、海外から平和を願って贈られたモニュメントがあります。イマンは、特に心を動かされたというモニュメントにスタッフを案内しました。ニュージーランドが寄贈したモニュメントです。「冬を胸に 春は希望に満ちる」と刻まれていました。
イマン
「原爆も含め過去のいろんなつらい思いを忘れずに 希望が満ちる将来を目指そうという意味だと思います」。
イマンは、「好きな場所がある」とスタッフを案内しました。平和祈念像の裏手になり、観光客はあまり訪れない場所かもしれません。
そこからは、80年前の原子野から復興した街並みとレンガ色の浦上天主堂が望めました。
ノーモア・ナガサキ194508091102
8月9日(土)0:00~24:00
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