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2025/06/12

「イマンのイマ何歩」ゴールは浦上天主堂の正午の鐘

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5000歩という制限つきのお散歩企画「イマンのイマ何歩」。マレーシアから長崎大学に留学しているイマンくんが出会いを求めて歩きます。

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今回は、平和をテーマに長崎市の平和公園周辺を歩きます。ゴールは「浦上天主堂の正午の鐘の音を聞くこと」です。

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最初に訪れたのは、原爆落下中心地。80年前の8月9日午前11時2分に上空500メートルで原爆がさく裂し、大きな被害をもたらしました。イマンくんは、毎年8月9日にこの場所に来ているそうです。

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イマン
「国内外から訪れる人がいて、『世界的にすごく大事な歴史が起きていた場所』だと思う。長崎に住む、しかも外国人として『核兵器廃絶しよう』という世界中の人々に伝えなければならないメッセージだと思っています」

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公園の一角に原爆が一瞬にして人々の日常を奪った事実を今に伝える場所があります。

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被爆当時の地層です。

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がれきの中に食器や日用品など暮らしの証しが残っています。

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続いて平和公園に向かいます。

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公園へのエスカレーターの横に防空壕があるのを見つけました。

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戦争中、空襲から逃れるために町内会や家庭で防空壕を作りました。当時、長崎市には193の防空壕があったそうです。ここは、爆心地から100メートルととても近い距離にあります。

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イマン
「すごく狭くて、自分が避難することを想像すると、苦しいというか考えさせられます」

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平和公園には、雨にも関わらず多くの人が訪れていました。海外の人も少なくありません。

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イマン
「あなたにとって平和とはなんですか?」

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ポールさん(カナダから)
「幸せであること。私たちそして私たちの子どもも安全が感じられること」「すべての人が充実した人生を送ること」

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祖父と孫でフランスから来ていた2人にも聞いてみました。

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イマン
「なぜ平和公園へ来ましたか?」
エドリアンさん(孫)
「この場所の歴史に興味があり、当時の事情などについて学びたくて」

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ジャッキーさん(祖父)
「2年前に広島も訪れた。人類のことを思うととても悲しい気持ちになる」

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平和公園には、国籍など関係なく一緒に平和を祈る人がいました。

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1977年に浦上天主堂のアンジェラスの鐘をモチーフに設置された「長崎の鐘」。

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毎月9日の午前11時2分に打ち鳴らされていて、イマンくんも何度か参加したことがあります。

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イマン
「すごいと思うのが、長崎の人と日本語話せない海外の方とか、学生とか一緒に鐘を鳴らしていて、言語を超えて『平和』という同じ思い持っているからね」

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平和公園には、海外から贈られたモニュメントがあります。

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その中のひとつニュージーランドのモニュメントには、イマンくんが「心に深く残った」と話す言葉が刻まれています。

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「冬を胸に 春は希望に満ちる」

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イマンくんはこの言葉を「原爆も含め過去のいろんなつらい思いを忘れずに 希望が満ちる将来を目指そう」という意味だと解釈しています。

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平和祈念像の裏手にイマンくんが案内してくれました。浦上天主堂を望むことができます。

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5000歩までは、まだ余裕があります。

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イマンくんには、ぜひ行きたかった場所がありました。

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如己堂です。長崎市の名誉市民永井隆博士が、被爆後亡くなるまでの3年間を過ごした家です。

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隣接する「長崎市永井隆記念館」を見学しました。

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案内していただいたのは、永井博士の孫 永井徳三郎さんです。

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永井博士は、白血病で余命宣告された中で世の中に「平和と隣人愛」を訴えました。

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自身も大けがをしながら被爆後2か月にわたって、被爆者の治療にあたりました。

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妻 緑さんは、原爆の犠牲になりました。記念館には、緑さんの形見の十字架(ロザリオ)を展示しています。溶けて原型をとどめない姿が、原爆の恐ろしさを伝えています。

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永井徳三郎館長
「(平和の大切さを発信する場合にも)永井の『隣人愛』というのは、取りつきやすいことかもしれませんね。自分の身近な人に愛を持って接することは、きょうから始めることが出来る平和活動だと思います」

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長崎市永井隆記念館
住所 長崎市上野町22-6
電話 095-844-3496
開館 9:00~17:00
入場料 一般(15歳以上)100円
    小中高生は無料
休み 12月29日~1月3日

いよいよ浦上天主堂に向かいます。

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浦上天主堂の主任司祭 山村憲一神父に天主公園でお話を伺いました。

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原爆で大きな被害を受けた浦上天主堂でしたが、直後は南北2つの鐘楼は爆風に耐え、持ちこたえていました。

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しかし、9日夜、北側の鐘楼が崩れ落ちたといいます。崩れた鐘楼は石垣の下に無残な姿を残し、衝撃の大きさを伝えています。

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1959年に再建されてからも北側の鐘は失われたままでしたが、被爆80年の今年、アメリカのカトリック信徒らが再現する計画を進めています。「同じカトリックという宗教を守っている人たちを自分たちが助ける」という思いで始められた活動です。

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寄贈された「希望のカテリの鐘(仮称)」は、7月17日に鐘楼に吊り下げられる予定です。

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山村憲一神父
「戦争で傷ついたものを元に戻す力を私たちは持っているんだなと」

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8月9日午前11時2分。浦上天主堂の2つの鐘が80年ぶりに鳴り響きます。

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ノーモア・ナガサキ194508091102
8月9日(土)0:00~24:00 
NCC公式YouTubeチャンネルで24時間放送

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