被爆から81年となった原爆の日。核兵器のない世界へ。長崎の訴えは、決して理想ではなく、核兵器がもたらす現実を知る者の声です。
太平洋戦争末期の1945年8月9日、アメリカ軍が投下した一発の原子爆弾は、その年だけで7万3884人の命を奪い、7万4909人が重軽傷を負いました。
爆心地では、核兵器廃絶の署名を国連に届ける22人の第29代高校生平和大使や署名活動のメンバーら、あわせて約100人の高校生が集い、追悼の思いをこめて白いカーネーションを手向けました。原爆落下中心地碑を囲んで手をつなぎ輪となる「人間の鎖」をつくり、核兵器のない平和な世界の実現を誓いました。
青雲高校2年・中尾絢音さん(16):
「ここで被爆者の方々の声を途絶えさせてはいけないという思いがあるので、もう核兵器を使わせてはならない。81年前の惨禍を二度と繰り返してはならないという発信を私たち高校生が一致団結して、していきたいなという気持ちをきょうは新たにしました」
高校生平和大使を経験した若者たちも訪れ、核なき未来への決意を胸に、犠牲者を悼みました。
第21代高校生平和大使・東京女子大学大学院1年 山西咲和さん(25):
「今までは被爆者の方たちへっていう思いで黙とうをしていたんですけど、今年はおばあちゃんに向けて私もこれから頑張っていくねっていう気持ちを込めて、今までありがとうっていう思いで黙とうしてます」
平和祈念式典は平和公園で営まれ、屋内会場の出島メッセ、原爆資料館ホールと合わせて3790人が参列しました。新たに2773人の原爆死没者名簿を奉安し、祭壇に水や花を捧げたあと、原爆が炸裂した午前11時2分を迎えました。
長崎市坂本2丁目の山王神社では、被爆クスノキの前で、多くの人が、黙祷を捧げました。こちらの0歳の赤ちゃんは、クスノキとこんな関わりがありました。
父親:
「クスノキのクスを取って、去年8月に生まれて、ちょうど戦後80年ということで、平和を継承して、クスノキみたいに、たくましく育ってほしいと『楠貴』と名づけた」