今年の式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げるのは、長崎市の本村チヨ子さん(87)です。6歳の時、爆心地から4.5キロ離れた旧福田村の自宅の縁側で被爆しました。
爆風によって庭にたたきつけられ、近くにあったガラス戸が倒れてきたところを、祖母が身を挺してかばってくれました。背中に多数のガラス片を浴びた祖母は、仰向けに寝ることもできなくなり、7カ月後に50歳の若さで他界しました。
本村さん「一番の根本は、私の命と祖母の命を引き換えた。そういう思いをずっと、今この瞬間まで引きずっております」
自らの体験を語り始めたのは、70歳になってから。沖縄の戦跡を見学した小学生の孫の言葉と、2008年にピースボートで被爆者と世界を巡った経験に、背中を押されました。
若い世代への継承とともに、核保有国を含めた外国でも対話を重ねてきました。2025年に訪米し、原爆が開発されたニューメキシコ州のロスアラモスの研究所や、ハワイ州の真珠湾を巡りました。
本村さん「(訪米までは)自分は悲劇の主人公、被爆者なんだと思い続けてきたんですけども。アメリカにも被爆者がおられた。パールハーバにも犠牲になられた方の遺族がおられた。いろんな方と対話を重ねるうちに、だんだんその自分の思い込みに、反省させられるところが多々あったんですね」
式典本番が近づく中でも、子どもたちとの交流の機会を大切にしています。
「平和の象徴は子どもたちの笑顔」と話す本村さん。
本村さん「私はもう最後と思ってますので、これが世界の子どもたちへの使命だと思って、平和を語らせていただきます」