被爆から80年となる原爆の日を迎えた被爆地・長崎で行われた平和祈念式典。武力衝突を繰り返し、核兵器への依存を深める世界に向けて、「永遠に長崎を最後の被爆地に」と訴えました。
80回目の8月9日。平和祈念式典には94の国と地域の代表が集まりました。広島の式典にはいなかったロシア大使の姿もありました。
ロシア大使:
「(Q:世界ではまだ戦争が起きています)まあそれはそうですけど(それを解決するためにどういったことが必要ですか?)それは色々手段があると思うんですが、全世界規模で見たら、分離線が残念なことに依然として残っていると思います。それはまさに軍事ブロックの活動です。その軍事ブロックの解体という問題を乗り越えれば、全世界への平和への道も開くんじゃないかと私は個人的に思います」
イスラエル・ギラッド・コーヘン駐日大使:
「長崎原爆で命を落とした方に敬意を示すために出席しました。イスラエルの代表としてここにいることを誇りに思います。命を落とした方、そして長崎のために心を込めて祈ります」
パレスチナ・ワリード・シアム駐日大使:
「核戦争を止めたいなら、イスラエルを止めなさい。戦争犯罪の代表と被害者が一緒にいるのは変。彼らは何も学んでおらず、口だけで平和といって、実際は平和なことはしていない。戦争ではなく大量虐殺を行っている」
絶えず降り続いていた雨は式典が始まる直前にやみました。
原爆が炸裂した午前11時2分に鳴り響いた平和公園の「長崎の鐘」。同じ時間、浦上天主堂では原爆開発計画「マンハッタン計画」に携わったアメリカ人医師の孫が募った寄付で復活した鐘と、被爆した鐘が2つそろって80年ぶりにその音を鳴り響かせ、長崎は祈りに包まれました。
核使用の脅威が高まる被爆80年。武力衝突や報復の連鎖を断ち切れない世界。被爆者の両親を持つ鈴木市長は平和宣言の冒頭、鬼気迫る表情で訴えました。
鈴木長崎市長:
「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください。対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。このままでは、核戦争に突き進んでしまう。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」
すべての被爆者の思いを乗せるために選んだのは、被爆者として、国連で初めて核兵器の非人道性を訴えた故・山口仙二さんの演説。14歳の時、長崎で被爆し、去年、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の代表委員として、生涯、被爆者運動をけん引し続けてきました。
鈴木長崎市長:
「私の周りには目の玉が飛び出したり、木ギレやガラスが突き刺さった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若いお母さん右にも左にも石ころのように死体がころがっていました」
そして、体に深く刻まれたケロイドの写真を示しながら演説した山口さんの「再び被爆者をつくるな」という心の底からの叫びをぶつけました。
鈴木長崎市長:
「私の顔や手をよく見てください。世界の人々そしてこれから生まれてくる子供たちに私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみを例え一人たりとも許してはならないのであります。ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」
6回にわたって口にしたのは、「地球市民」という言葉。対話すらできず、分断や対立ばかり深める世界に向けて、みんなが同じ地球に住む市民だと訴えました。
鈴木長崎市長:
「地球市民の一員である、すべての国の指導者の皆さん。長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠です。先延ばしは、もはや許されません」
石破総理は「『核戦争のない世界』、『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の取組を主導していくことこそが我が国の使命」と述べました。
石破総理大臣:
「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ。長崎医科大学で被爆された故・永井隆博士が残された言葉であります。長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはなりません」
ベルギー・イーペル市カトリン・デソメル市長:
「この式典のように世界中から人々が集まり協力し平和を自分の国に広げていくこと。私たちは戦争を止めるために協力すること、コミュニケーションをとること、平和に向けて努力することを学ばなければいけないと思います。この式典に参加することで貢献できると思います」
あなた自身も「地球市民」の一員。世界で起きている出来事を「自分事」として捉え、核なき平和な世界を共につくる一員です。