かつて「東洋一の大聖堂」と呼ばれた長崎・旧浦上天主堂。クリスマスなどの行事には2つの鐘が響き渡り、信徒や地域の人々に親しまれてきました。
しかし、1945年8月9日、原子爆弾により天主堂は破壊され、教会の中にいた神父や信徒のほか、周辺に住んでいた信徒らも含めておよそ8500人が原爆の犠牲となりました。今も鐘楼の一部が「被爆遺構」として残り、原爆の悲惨さを後世に伝えています。
爆心地近くに位置した浦上天主堂は、被爆から14年後に再建されました。爆風で2つの鐘が吹き飛ばされ、1つは無事だったものの、もう1つは大破。北側の鐘楼は「空」のままとなり、その後は1つの鐘だけが鳴らされてきました。
被爆80年を迎える今年、北側の鐘楼に新たな鐘が設置されました。復元プロジェクトを主導したのは、アメリカ・ウィリアムズ大学のジェームズ・ノーラン・ジュニア教授(63)。彼の祖父は原爆開発「マンハッタン計画」に参加した医師です。
このプロジェクトのきっかけとなったのは、被爆2世でカトリック信徒の森内浩二郎さん(72)の提案でした。ノーラン教授はアメリカ各地で原爆被害の講演を重ね、600人以上のカトリック信徒から寄付を集めて鐘の復元を実現。
新たな鐘は「希望の聖カテリの鐘」と名付けられ、壊れた鐘と同じ青銅製で、見た目や大きさも忠実に再現されています。7月17日、ノーラン教授と森内さんが浦上天主堂で新しい鐘をともに鳴らし、その復活を祝いました。
ノーラン教授は「分断が深まる今の世界で、鐘が希望と平和を育む団結の象徴になることを願っています」と語っています。森内さんも「今、聖カテリにお願いした。永遠に鳴り響いて下さいと。被爆で鐘が破損するような出来事が今後絶対起こらないようにと願いも込めて」と思いを込めました。
8月9日午前11時2分、原爆がさく裂したその時刻に、南側の鐘とともに北側の鐘が80年ぶりに響き渡ります。かつて対立した日米の絆をつなぐ鐘の音です。
世界の分断が深まる中、被爆80年を迎えた長崎から平和を願う鐘の音が世界中に届き、争いのない未来が一日も早く訪れるよう、祈りが込められています。