2025年3月、長崎空港にひとりの少年が降り立ちました。小学4年生、10歳の細井奏志(ほそい・そうし)くん。
彼は史上最年少の「交流証言者」として、被爆体験の語り部デビューを果たしました。
デビュー直前、緊張した面持ちで語った奏志くん。東京都世田谷区在住の小学4年生です。奏志くんが語り継ぐのは、被爆者・三田村静子さん(被爆当時3歳8カ月)の体験。三田村さんは、4度のがんとの闘病や、39歳の娘をがんで亡くすという苦難を乗り越え、約40年にわたり平和活動を続けてきました。
2023年の春休み、当時小学3年生だった奏志くんは、長崎を訪れた際、原爆資料館で偶然三田村さんと出会います。三田村さんの被爆体験に心を動かされ、「自分も語り継ぎたい」と決意。以降、長崎に何度も足を運び、準備を重ねてきました。
2024年12月、交流証言者の審査会に見事合格。言葉を「より多くの人に分かりやすく伝える」ことを心がけ、家族とも話し合いながら準備を続けました。デビュー当日は、姉の彩夏惠(さなえ)さん(14)が描いた紙芝居の絵も登場。家族で支え合いながら、初めての証言に臨みました。
多くのメディアに囲まれる中、いよいよ本番。奏志くんは三田村さんの壮絶な体験を、丁寧な言葉で伝えました。
「原爆とともに生きて放射線の悪魔と闘った。三田村静子。交流証言者細井奏志。」
「今世界で起きている戦争に関心を持ち、平和について話題にしてほしい。戦争は自然災害ではなく、私たちで防げるはずだ。」
30分間の初講話を終え、「ちょっとだけ間違えちゃったけど頑張って伝えられました」「明日は100点を目指します」と語りました。
三田村さんも「話が上手になった。しっかりまとめてたね」と温かく見守ります。
デビュー2日目には、東京から担任の山本先生とその息子・はるきくんも長崎に駆けつけました。
「平和について考えがふわふわしていた息子に、そうしくんの活動を見て何か感じてほしい」と山本先生。講話後、「クラスの中でも、そうしがそんな活動をしているなんてと泣く子もいた」と語ります。
午後2時、いよいよ最終講話。奏志くんは力強く語りました。
「原子爆弾は一発で大勢の人を殺傷し、建物を破壊し、自然環境にも長期的な被害を加える核兵器です」
「平和を求め続ける心を大切にしてほしい。これを僕は未来に繋げていきたい。三田村さんの被爆体験をたくさんの人に知ってもらい、核兵器のない平和な世界を作っていきたいと願っている」
3回の講話を無事終え、今後は「史上最年少の交流証言者」として全国で活動していく予定です。
2年前の出会いから始まった二人の物語。「二度と戦争をしてはいけない世界をつくる」という約束を胸に、奏志くんは努力を重ねてきました。
「私の証言をずっと繋いでいってもらいたい。くじけないでね、最後まで」
三田村さんの願いを、奏志くんはしっかりと受け止めています。「三田村さんは、変わらず憧れるようなすごい存在です」
「長崎の宝と言っていいかな。世界を動かすと思います」と三田村さんも奏志くんを称えます。
「この世界から核兵器をなくして、戦争がなくなれば核兵器もなくなる。まずは戦争をなくすことから」
10歳の交流証言者・細井奏志くん。その真っすぐな思いと行動が、未来へと平和のバトンをつないでいきます。