平和祈念式典で鈴木市長が読み上げる平和宣言には日本被団協の元代表委員で、長崎の被爆者、故・山口仙二さんの演説が引用されています。被爆者として国連で初めて核兵器の非人道性を訴えた山口さん。当時、同行した男性は「仙二さんの声に耳を傾けてほしい」と話しています。
山口さんの演説の直筆原稿は昨秋、長崎被災協の地下倉庫で見つかりました。原稿用紙には何度も推敲を重ねた跡が残されています。
43年前の1982年、アメリカ・ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会。国連の演台に初めて被爆者が立ちました。
故・山口仙二さん:
「私の顔や手をよく見てください、よく見てください」
鬼気迫る表情で、自らの体に残ったケロイドの写真を掲げながら演説した日本被団協の元代表委員、
故・山口仙二さん。14歳の時に長崎で被爆しました。
元長崎大学教授の高橋眞司さん(83):
「彼のスピーチは今も生きている。日本の被爆者を代表するスピーチだったと思いますね」
そう話すのは、元長崎大学教授の高橋眞司さん。当時、山口さんらとアメリカに渡り、寝食を共にしました。
演説の原案は、日本被団協が形にし、山口さんに託したといいます。
元長崎大学教授の高橋眞司さん(83):
「原稿を絶えずポケットに入れて、外出するときにもよく見ていたし、これは『俺の言葉ではない』
と言って、全体に手を入れて最後には自分の言葉でしゃべった。それでノー・モア・ウォーという叫びになった。そこには仙二さんの魂がこもっていた。そういう文章に仙二さんは自分で作り替えていった」
およそ10分間の演説。核兵器の非人道性と、「再び被爆者をつくるな」という心からの叫びを世界にぶつけました。
故・山口仙二さん:
「世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、 子どもたちに、私たちのようにこのような被爆者に、核兵器による死と苦しみをたとえ1人たりとも許してはならないのであります」
「私たち被爆者は訴えます。命のある限り私は訴え続けます。
ノーモア・ヒロシマ!
ノーモア・ナガサキ!
ノーモア・ウォー!
ノーモア・ヒバクシャ!」