被爆から11年後の1956年に長崎で初めて結成された被爆者団体「長崎原爆青年乙女の会」が核廃絶を訴える「つどい」が長崎市で開かれました。
長崎市平野町の記念碑前で開かれた「つどい」は被爆者の高齢化が進むなか、これまでの活動を次世代に伝えていこうと「長崎原爆青年乙女の会」が主催し、2022年から年に一度開いています。
今年は、長崎で被爆し、上半身に大やけどを負った故・山口仙二さんが1982年の第2回国連軍縮特別総会で核兵器廃絶を訴えた国連演説の直筆原稿が被災協の倉庫から見つかったことから、今一度、山口さんの訴えを広く知ってもらいたいと、企画が用意されました。
長崎南山高校の3年で広島と長崎で二度被爆した故・山口彊さんのひ孫、被爆4世の原田晋之介さん(17)が山口仙二さんの演説の全文を読み上げました。
長崎南山高校演劇部・原田晋之介部長:
「尊敬する代表の皆さん、私の顔や手をよく見てください…よく見てください!私たち被爆者は訴えます。生命ある限り、私は訴えつづけます。ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・ウァー、ノー・モア・ヒバクシャ」
原田晋之介部長:
「一言一言に対する歴史的な背景があって、僕たちには到底できないような発信力や(言葉の)重さがありました」
一方、5月14日にアメリカが臨界前核実験を行ったことについて、被爆者からは憤りの声が聞かれました。
長崎原爆青年乙女の会・小峰秀孝会長:
「ものすごく腹が立ちますよ。何で戦争という形で人殺しをするんだろうって。話し合いで何で解決できないのかなとそんな思いが募って腹が立ちます」
集会では、山里中学校のコーラス部が平和への願いを込めて合唱を披露したあと、小中学生が記念碑に花束と千羽鶴を手向け、参加者は核兵器廃絶への思いを新たにしました。