長崎大学の前身、長崎医科大学では500人余りの学生や教職員が原爆の犠牲となりました。大学は所蔵する貴重な被爆資料を未来につなぐプロジェクトを始めました。
爆心地から約550メートルの長崎大学坂本キャンパス。この場所にあった前身の長崎医科大学は、校舎の多くが木造だったため倒壊・焼失し、原爆によって学生と教職員898人が亡くなりました。
長崎大学・原爆後障害医療研究所・横田賢一特命助教:
「鉄筋コンクリートの建物だけが残る形で、左の端の建物が外来の本館になっていて西森先生はそこで教授の診察の様子を後ろから見ていたということです」
原爆後障害の研究に尽くし、2000年に80歳で亡くなった西森一正元名誉教授。当時、長崎医科大学の学生で、コンクリートの建物内にいました。同じ階でも爆心地に近い部屋にいた生徒たちは爆風などでほとんどが死亡。西森さんが居た部屋までは複数の壁が遮り、無事でしたが、けがをしました。
長崎大学・原爆後障害医療研究所・横田賢一特命助教:
「西森先生はこの白衣が示すように全身血まみれの状態で負傷されて、金毘羅山の方に避難される間に色んな方を救助しながらそちらに行ったと」
ガラス片が頭や背中など全身に約30カ所突き刺さり、着ていた白衣は自身の血で染まりました。白衣は惨状を伝える貴重な資料として、大学の展示室で公開されていますが、生地の劣化が進んでいます。
長崎大学・原爆後障害医療研究所・横田賢一特命助教:
「白く進んでいる所がありますが、カビがかなり広がってきています」
大学は修復・保存し、未来へとつなぐため、被爆80年の今年、寄付を募るクラウドファンディングを始めることを決めました。
長崎大学・原爆後障害医療研究所・横田賢一特命助教:
「これは世界にない医科大学の(原爆の)被害は長崎唯一ですので、非常に貴重なものかと。特に白衣というものが象徴的かなと思います」
修復とともに、調査が必要な被爆資料もあります。
長崎大学附属図書館・浜田久之館長:
「こちらが『キュンストレーキ』という1860年に長崎大学を創設したポンぺ先生がフランスから持ってきた解剖を勉強する教材ですね」
長崎大学医学部を創設したオランダ海軍医のポンペが1860年に教材として、フランスから輸入した日本最古の紙製人体解剖模型「キュンストレーキ」。原爆による焼失はまぬがれたものの右半身だけとなり、いまも片足だけで立ち続けています。
長崎大学附属図書館・浜田久之館長:
「黒い所は焼け焦げた所で、もともと赤い色とか青い血管があったんですけど、これが真っ黒になったと被爆の爆風とか、火災のものすごさを物語っております」
支える足首には大きなひびが入っているほか、内部の構造は分かっておらず補強やX線による詳しい調査が必要です。
長崎大学附属図書館・浜田久之館長:
「長崎大学のシンボルですし、原爆にあってもそれでも立っているということで平和の証といいますか、我々としては立ったままの状態で、保存をしていきたいと思っています」
前方に大きくずれ、傾いたまま残る当時の正門の門柱。平和学習の場として、原爆の爆風のすさまじさを今に伝える被爆遺構の近くで、新たに見つかったものもあります。爆風で倒壊し、土の中に埋もれていた通用門の門柱と基礎部分が去年、法面の工事中に見つかりました。被爆遺構としての価値が認められましたが、劣化が進んでいるため修復するほか、説明パネルの設置や見学ルートも整備する計画です。
長崎大学・原爆後障害医療研究所・横田賢一特命助教:
「長崎大学がこのような被爆の歴史的な資料というのを、きちんと保管していることを広く知っていただくことを目標としています。生存されている被爆者の方に代わる物証としてこういうものがあって、若い人たちを含めてそういうものを見ながら自分なりに考えてもらえるというものとして、非常に貴重だと考えています」
被爆の惨状を伝えるためのクラウドファンディングは24日から始まり8月22日(金)まで。目標金額は800万円です。「READYFOR」のサイトで寄付を受け付けています。