被爆から80年となる8月9日の原爆の日を前に原爆死没者名簿の風通しが行われました。
原爆が炸裂した午前11時2分、長崎市の職員10人が黙とうを捧げた後、風通しの作業に入りました。
「原爆死没者名簿」は、原爆の犠牲となった一人ひとりの生きていた証として、氏名や亡くなった年月日、年齢を記しています。去年7月末までに判明した死没者は19万8890人。去年、新たに3208人が加わりました。
名前すら分からない犠牲者のために、白紙の1冊を含めて名簿は203冊。一枚一枚、傷みがないかを確認しながら、湿気を取り除くために風を通しました。
長崎市援護課の被爆3世、黒田優子さん(41)の祖母は、爆心地から約1キロの地点で被爆し、建物の下敷きになりました。生前、被爆体験について語ろうとはしなかったといいます。
原爆被爆対策部援護課・黒田優子さん(41):
「皆様方のお名前に風がきちんと当たるようにとの思いで、丁寧に一枚一枚めくらせていただきました。原爆(投下)が遠い昔のことではなくて今私たちが生きて生活をしているように名簿に名前がある方たちも生活をしていた。そういう方たちの思いを今後も伝えていかなければならないと思いながら風通しを致しました」
6月、去年8月以降に新たに判明した原爆死没者を書き入れる作業を始め、8月9日の平和祈念式典で奉安します。