伊藤一長元長崎市長が銃撃され、死亡した事件から4月17日で18年です。核の非人道性を世界に訴え続けた元市長。親族の男性が墓前で手を合わせ、事件の記憶や平和への思いをつなぐことを誓いました。
山口県長門市在住の写真家、安森信さん(47)。
17日、父親のいとこに当たる伊藤元市長のお墓を訪れ、手を合わせました。
伊藤元市長の親戚・写真家 安森信さん(47):
「事件当時から気持ちは変わらず、悲しさと悔しさの中でずっと生きてきましたし、早く世の中が良くなることを願いながら、お参りをさせていただきました」
伊藤元長崎市長は、4選を目指し選挙活動中だった2007年4月17日の午後7時50分ごろ、遊説を終え、長崎駅前の選挙事務所に入ろうとしたところを暴力団幹部の男に背後から拳銃で撃たれ、翌未明に亡くなりました。
伊藤元市長の親戚・写真家 安森信さん(47):
「並々ならぬ覚悟で取り組んでいたと思う。おじさんだけの気持ちではなくて皆さんの気持ちを代弁することに尽力していたと思います」
被爆50年の1995年、戦後生まれの市長として初当選した伊藤元市長。
当選から半年後にはオランダ・ハーグの国際司法裁判所の法廷に立ち、長崎原爆で黒焦げとなった少年の写真を掲げながら原爆の非人道性を訴えました。
故・伊藤一長元市長:
「全ての核保有国の指導者はこの写真を見るべきであります。核兵器のもたらす現実を直視するべきであります。そしてあの日、この子らの目の前で起きたことを知ってほしいのです。この子らの無言の叫びを感じてほしいのです。核兵器の使用は国際法に違反していることは明らかであります」
国が難色を示した中、「核兵器の違法性」を世界に向けて訴えかけた伊藤元市長。
この訴えに沿う形で、国際司法裁判所は「核兵器の使用・威嚇は国際法に反する」とする判断を示しました。
これは、後に核兵器禁止条約の制定につながる礎となりました。
安森さんは、事件現場も訪れ、写真に収めました。
伊藤元市長の親戚・写真家 安森信さん(47):
「ここに来ると、胸が締め付けられる気分になりますね。こういうことがあったということを忘れてほしくない。これから先にそういうことがないように」
安森さんは、事件の記憶や平和への思いをつなごうと伊藤元市長のゆかりの地や支援者の姿を写真に収め、1冊の写真集にまとめました。
タイトルは、伊藤元市長が好きだった「向日葵」。
事件当時に着ていたシャツなど遺品の写真も収められています。
被爆地・長崎の市長としての使命を背負い、世界に核兵器廃絶を訴え続けた伊藤元市長。平和な世界の実現に向けて尽力した3期12年でした。
最後の平和宣言(2006年)故・伊藤一長市長:
「人間は、いったい何をしているのか。被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りと苛立ちの声が渦巻いています。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています」
伊藤元市長の親戚・写真家 安森信さん(47):
「いまだに核兵器がなくならないどころか、世の中が段々悪くなっていっている。凄惨な事件も無くならない。むしろ増えていることに対して改めて人間はいったい何をしているのか、ということを考えていただきたいなと思っています」
平和を願う伊藤元市長の想いは、今も人々の心の中で生き続けています。