原爆で犠牲になった少女をしのび、小学校の校庭に植えられた桜が今年も満開になりました。淡く美しく、力強く咲り誇り、平和の尊さを訴え続けています。
爆心地から約500メートルの長崎市立城山小学校。地域の人たちにとって、その光景を眺めるのは、掛け替えのないひと時です。
付近住民(84):
「近くに住んでいますから、毎日のようにきょう咲くかなってずっと通っていました」
「嘉代子桜」は、今年も満開の花を咲かせました。
付近住民(84):
「嘉代子さんのお母さんの気持ちがわかるような気がして、この木をいつまでも大切にして枯らさないように大事にして守っていってあげたいと思いますね」
80年前の8月9日、当時15歳で県立高等女学校4年生だった林嘉代子さんは、学徒動員先だった城山小の前身・城山国民学校で原爆の犠牲となりました。
被爆から4年後、桜が大好きだった娘の嘉代子さんら犠牲者をしのんで、母・津恵さんが贈った50本の桜の木が校庭に植えられました。嘉代子桜は、寿命や台風被害などで6本にまで減りましたが、平和の尊さを今に伝えています。
長崎市野母町から(71):
「壮観ですよね。すごく素敵だと思います。きれいです。うちの父も原爆に遭って3年前に亡くなったんですけど、平和な世の中になってほしいですね。戦争のない今の若い人たちが心配のない世界になってほしいですよね」
6本すべてが60年から70年とされる寿命を超えました。それでも力強く、美しい花を毎年私たちに見せてくれています。
被爆者・田中安次郎さん(82):
「ロウソクの最後の光がばぁってなっているような感じですね。平和のありがたさ、命の大切さを訴えかけている木ですね。また1年間頑張ろうなって力をもらう、エネルギーをもらう、そんな木です。私たちの活動の源泉になっているというか嘉代子桜というのは」
平和案内人を長年務める田中さんは平和への思いを広めようと2008年から桜の苗木を各地に植樹する取り組みを始めました。
被爆者・田中安次郎さん(82):
「何でもない当たり前の平和な世の中、これを大切にしないといけないなと思う。嘉代子桜の心をずっと引き継いでいくことが大切だと思うんですよね。被爆者がいなくなることは目に見えている。でも桜の木は残るそのたびに平和って何かなって考えてくれれば、いいなって思う。二度とあんな悲惨な出来事がないように、と思います。そのシンボル」
被爆者の願いと共に、植樹活動は広がりを見せています。
被爆者・本田魂さん(81):
「この桜が元気なうちに核兵器が駄目だということが世界に広がればと思う。嘉代子桜を見て平和という意味をもう少し考えてもらえればと思う」
本田さんは、5年前から接ぎ木をして育てた「2世」の「嘉代子桜」を市の内外の学校や公園などに植えてきました。苗木は、全国へと広がり、東京や大阪、遠くは北海道でも植樹されています。嘉代子桜は、平和のバトンとしての役割を担っています。
城山小の新4年生:
「満開に咲くといいなと思いながら植えました。ここに原爆が落ちたことが語り継がれていけばいいなと思いました」
被爆者・本田魂さん(81):
「残して桜がどうして嘉代子桜って言われているかということを皆さんに少しでもわかってもらえれば、長崎で核兵器が使用されるのを最後にしたい気持ちが少しずつでもわかってもらって、とにかくこの世界から核兵器廃絶ということを皆さん一人ひとりが考えてもらえればと思います」
平和を願う嘉代子桜。その思いは、世代を超えて受け継がれていきます。