長崎市の小学校で卒業生2人による出前授業が行われ、子どもたちは平和活動を続ける被爆者の思いに触れました。
被爆者・竹下芙美さん(83):
「空襲警報っていってワ~って鳴るんですよ」
長崎市の銭座小学校の出前授業に訪れたのは、被爆者の竹下芙美さん(83)と、平和学習の講師を務める被爆3世・林田光弘さん(32)の2人。2人とも銭座小学校の卒業生です。平和学習をするのは銭座小学の5年生25人。
平和学習講師・林田光弘さん(32):
「きょうは私がインタビュアーでインタビューをする人になって竹下さんに原爆が落とされる前から原爆が落とされた時、そしてそのあとずっとこの80年間の竹下さんの人生をみんなと一緒に聞きたいなと思います」
竹下さんは3歳の時、疎開していた時津から西坂の自宅へ行き、入市被爆しました。
被爆者・竹下芙美さん(83):
「私は農家の小さな窓からパーッとものすごい光が本当にものすごい、あんな光は皆さん見たことないですよ。白いというか黄色いというかパーッとした光が見えて音は記憶ないんですけど光だけ覚えている」
子どもたちは被爆当時の様子に加え、銭座小の原爆投下前から現在に至るまでの変化なども写真を通して学んだほか、竹下さんの平和活動に対する思いに触れました。
平和学習講師・林田光弘さん(32):
「当時何があったのか、どんな子たちがいたんだろうということを私たちが思い返せるように芙美さんたちのグループが手で骨を集めたり、お茶碗とか被爆瓦を集めたりしました」
竹下さんは爆心地公園の整備が始まった1996年から犠牲者の遺骨や遺品など被爆資料を発掘し、集め続けてきました。
被爆者・竹下芙美さん(83):
「こんなことは二度とさせたくないし、自分もそういう目に遭いたくないと思います。そしてこれから産まれる子どもたちも皆さんにもこういう嫌なつらい悲しい思いをもう二度としてほしくないという思いで一生懸命掘りました」
22年前に竹下さんが被爆瓦などを寄贈したことで作られた銭座小の「被爆資料展示室」。
爆者・竹下芙美さん(83):
「すごい熱で、長いことバーナーみたいなので当てるとこういう風に(気泡が)出来るんだけど、これは一瞬にしてこうなったドーンっとすごい熱で」
子どもたちは、被爆遺構に直接、触れながら竹下さんの解説を熱心に聞き、知識を深めました。
被爆者・竹下芙美さん(83):
「忘れないためにこういうものを大事に残して、あなたたちに後から生まれてくる子どもさんとかにこういう恐ろしいことが昔あったんだよって戦争はだめだよねってことを話してほしいなと思います」
児童:
「原爆の威力のすごさを見たり手で感じたりすることができた」
銭座小学校5年・武藤晴佳さん(11):
「今までも(資料室に)何回か行ったことがあったから知っていると思っていたけど、実際には知らないことがいっぱいあって驚きました」
被爆者・竹下芙美さん(83):
「戦争は駄目だ、核兵器はつくらない使わないということを自分は態度で示さなきゃいけないなという風につなげていけたらとってもうれしい」
平和学習講師・林田光弘さん(32):
「この資料室はこれから先、何年も何十年も銭座小学校の平和学習を守り続けてくれる大事な場所になっていくんじゃないかなときょう改めて思いました」
竹下さんが集め続けてきた被爆資料は、今後も銭座小に通う子どもたちに被爆の実相、そして、平和の大切さを伝え続けていきます。