お盆を迎え、長崎市の墓地には朝から墓参りの人たちが訪れました。
長崎市街を見渡す寺町の墓地には、お供え用の花や線香など持った家族らの姿が見られました。訪れた人たちは強い日差しが照りつける中、墓の周りを掃除したあと先祖の墓前に花や線香を手向け、静かに手を合わせていました。
墓参りに来た人:
「盆は年に1回なので特別な日。先祖を思い出して」
墓参りに来た人:
「いつも見守ってもらえたらというのと両親が早く亡くなったので寂しいので…。孫たちを見ていてねってという思いでお参りしました」
熊本から墓参りに来た塘口昌樹さん(59)の父・芳男さんは被爆者でした。
塘口昌樹さん:
「被爆していて平和公園のから500メートルぐらい電車の中にいた」
(Q.助かった?)
「うん…。それで59歳まで生きた。でも病弱で入退院を繰り返していて」
奇跡的に助かった芳男さんは原爆の話はほとんどしなかったそうです。
塘口昌樹さん:
「チンチン電車の中にいた。それは聞いていた。中学生だったから大人の影になって直接熱線は浴びていないけど放射能は浴びた。今、親父の年なんですよ。59歳だから59歳を越せるのかなと。59歳以上がいないんです。男で。絶対先祖が守ってくれている。お盆だけは必ず来るようにしています」
初盆を迎えた人は故人を迎え入れる準備を進めていました。
初盆を迎える人:
「いつも明るく、厳しくもあり、周りを元気にさせるようなおばあちゃんでした。『元気にしているよ』『帰ってきてね、初盆に』と声をかけたい」
15日には、初盆を迎えた故人の霊を西方浄土に送る「精霊流し」が行われます。