299人の死者・行方不明者を出した長崎大水害から23日で42年です。被災地では慰霊祭が営まれ、市民が黙とうを捧げました。
1982年7月23日、長崎市では、集中的な豪雨によって土砂災害や河川の氾濫などが相次いで発生。299人が犠牲となり、1500棟を超える住宅が全半壊しました。
土石流で34人が犠牲となった長崎市川平町では慰霊祭が営まれ、遺族ら約20人が冥福を祈りました。
中村弘美さん(68):
「母は家の下から見つかりました。自分の建てた家だから離れたくなかったのかな。兄嫁はここから大波止まで流れていました。自分が生きている限りは慰霊祭に参加したい」
川平町自治会・松本幸一会長(68):
「災害というのは本当に人が忘れた頃にやってくる。まだまだこれから伝えていかないといけない。またいつ起きるか分からない」
午前11時、犠牲者を悼むため市内に鳴り響いたサイレン。当時、濁流で損壊した「眼鏡橋」周辺でも市民らが手を合わせ、災害の教訓を胸に刻みました。