43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流から6月3日で32年です。災害の記憶を引き継ごうと島原署の警察官が、現地で犠牲者に祈りを捧げました。
1991年6月3日の大火砕流では、消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となりました。このうち2人は避難誘導にあたっていた九州管区機動隊佐世保小隊の警察官で消防団の詰め所だった「北上木場農業研修所」近くで火砕流に巻き込まれました。島原署員約40人が研修所跡地近くの慰霊碑に花をたむけ犠牲者に祈りを捧げました。
島原署・久田庄蔵署長:「尊い命を守ったということで(警察官としての)誇りと使命感は語り継がないといけないと思っている」
署員は、殉職した2人の警察官の当時の状況の説明を受けたり、報道機関の撮影拠点だった「定点」を見学したりして防災への思いを新たにしました。
島原署地域課・中山玲巡査長(26):「実際のその時の目に見えるものがあって災害の恐ろしさを更に実感できる」
島原署地域課・中川原祐布樹巡査長(28):「このような大災害がいつ起こるか分からない、その際は殉職した2人の警察官の思いを無にすることなく住民の安全・安心を守れるように職務に当たりたい」
島原市は6月3日噴火災害の被災者が移り住んだ仁田団地に献花台を設けるほか、火砕流が発生した午後4時8分に市民に黙とうを呼びかけます。