日本の近代化に貢献し、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録された「端島」通称「軍艦島」が閉山から15日で50年を迎えました。長崎市で記念の催しが開かれました。
端島は江戸時代後期に石炭が発見され、1890年・明治23年から1974年・昭和49年1月15日までの間、海底炭鉱として石炭を約1570万トン産出。日本の近代化に大きく貢献しました。周囲約1.2キロの小さな島に、最盛期には約5300人が住み、「人口密度は世界一」とも言われました。高層アパートが立ち並ぶ外観が軍艦(土佐)に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。先端技術を持つ炭鉱都市として栄えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと転換したことにより端島炭鉱は閉山しました。
15日、長崎市松が枝町の「軍艦島デジタルミュージアム」で開かれた端島炭鉱閉山50周年記念式典では、元島民6人のトークイベントなどが行われました。
長崎市の加地英夫さん(91)は、端島で生まれ育ち、閉山までの23年間、炭鉱で働きました。元島民でつくる「長崎端島会」の会長を務めていて「コロナの影響で出来なかった島への上陸を今年4月に実現したい」と話しました。
加地英夫さん:
「神主さんを呼んで、端島唯一の神社でみんなが手を合わせて端島のことをみんなで話をしようと。今の端島を見たら荒れていますので、もう一度みんなに声をかけてみようと固く心に誓ったわけです」
閉山から50年が経ち、島の護岸や建築物などの劣化が進む中、いかに保存・整備し、観光資源として生かしていけるかが課題となっています。
長崎市文化観光部世界遺産室・栗脇喜朗室長:
「毎年モニタリングをして調査をしていますが、劣化の進行は顕著ですね。ただ、世界遺産の島なので、市としては何も手を打たないというわけではなくて、まずは島全体、護岸を守っていく。明治期の構造物を優先して守らないといけないと思っている。そちらの方を守っていく整備を進めています」
長崎市によりますと2009年に解禁された一般市民の上陸者数が去年12月末までに約224万8000人となり、市を代表する観光施設になっているということです。