遺族らの思いが込められた精霊船。
参加者:「悲しいというよりも盛大にお送りしてやろうというのが長崎の伝統」
コロナ禍の3年は、少人数や短時間、自粛などの感染対策が取られましたが、コロナが5類に移行した今年は4年ぶりの通常開催となりました。
祖母を送る40代男性:「亡くなるまで自分で歩いてご飯も作ったりしていたんで、元気なおばあちゃんだった」
去年12月、96歳で亡くなった長崎市の大平光美さん。遺族は、家紋入りの法被を作り、孫やひ孫ら約30人で送りました。
故人のひ孫:「優しい人でいつも可愛がってくれた。(ひいおばあちゃんに)喜んでほしい」
今年5月、71歳で亡くなった山口省三さん。ゴルフが大好きで、プロ並みの腕前でした。
父親を送る息子:「ゴルフ無しでは語れない人生だった。ゴルフ関連で、ゴルフ大好きだったんで、一生懸命作って送り出そうと思って。楽しいと思いますよ故人も」
担ぎ手は皆、キャディーの出で立ちで送り出しました。
去年9月、91歳で亡くなった橋本昶さん。長崎くんちが大好きな造船マンでした。
孫の女性:「(そちらの船は?)おじいちゃんが元々三菱造船で働いて船の設計をしていたので、設計していた船のモチーフのダイヤモンド・プリンセスをイメージしてます」
船には「おじいちゃんありがとう大好きだよ」の文字が添えられていました。
精霊船で送り出されるのは、人間だけではありません。走り回るのが大好きだったミニチュア・ダックスフントのライトくん。15歳まで生きました。
ペットを送る女子中学生:「生まれた時から一緒だったので、友達みたいな感じです。川に一緒に行ったり、ソファで一緒に寝たりした。天国でも元気に楽しくしていてほしい」
沿道には多くの人が詰めかけました。
雲仙市から来た人:「目の前で鳴る爆竹をもっと近くで見たいと思ったのと、精霊船がきれいだったのでここに座りました」
県外から来た人は―。
初めて見た人:「こんなに激しいの初めて見ました。日本中・世界中探しても長崎だけですよね」
こちらは船舶機器の販売などを手掛ける長崎市小江町のK&Bホールディングスグループの精霊船です。5月に亡くなった吉原雅人顧問と2月に亡くなった都甲安信会長の御霊を乗せて送り出しました。
K&Bホールディングスグループ・都甲幹嗣副社長:「2人とも派手めな、豪快なのが好きだったので、少し大きくなった」
全長約5メートルの精霊船が4隻。その後ろには長崎市の石橋建設が手掛けた台車が6台連なり、合わせて約30メートルの一団です。従業員や家族ら約150人が寄り添いました。
K&Bホールディングスグループ・吉原優社長:「きょうは最後に親孝行ができればと」
約8万発の爆竹を準備し、途切れることなく鳴らし続けました。
県警によりますと、県内で届け出が必要な2メートル以上の船は去年を39隻上回る717隻。長崎市では2メートル未満の船も含め、去年の1316隻を175隻上回る1491隻が流されました。