299人の死者・行方不明者を出した長崎大水害から43年です。
土石流で34人が犠牲となった長崎市川平地区では慰霊祭が営まれ、地域住民や市の職員ら約20人が、犠牲者の名前を刻んだ慰霊塔の前で冥福を祈りました。
1982年7月23日、長崎市では3時間に313ミリの集中豪雨に見舞われ、土砂災害や河川の氾濫などが相次いで発生。299人が犠牲となり、3万9755戸の住宅が被害を受けました。
参加した地域住民(友人が死亡)尾﨑フミ子さん(82):
「一番仲のいい、お酒飲みのお友達だった。民謡を一緒にして。安らかに眠ってと、奇麗な気持ちで、私たちを見守ってほしいなと思っている」
大水害から43年が経って、地区の遺族は高齢化し、慰霊祭に遺族の姿はありませんでした。
川平町自治会 松本幸一会長(69):
「その継承が一番難しいんですよ。特に若い人が少ないんでね。この地区。参加者も減る一方でですよ。地道に伝えていくというのをしていかんといかんなと」
午前11時、長崎市内に追悼のサイレンが鳴らされ、災害に備える心構えを新たにしました。