対馬の寺から盗まれ、韓国に渡った仏像が12年7カ月ぶりに対馬に戻ってきました。
12日午前、12年7カ月ぶりに対馬に戻ってきた仏像。「観世音菩薩坐像」です。
観音寺・田中節孝前住職(78):
「(仏像は)絶対帰らないと思っていた結果良ければすべてよしありがとうございました」
13年前の2012年10月8日、対馬市豊玉町の観音寺で、玄関の鍵が壊され、本尊に安置されていた県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」が韓国人窃盗団に盗まれました。窃盗団は翌2013年に韓国で検挙され、仏像は押収されます。
韓国文化財庁は「倭寇による略奪の可能性も捨てきれないが、今回は国際法に従わなければならない」として返還する方針を示しました。
しかし、韓国の大田地裁は観音寺が正当な手段で取得したことが確認されるまで韓国政府による日本への返還を差し止める仮処分を決定。事実上の返還拒否です。
僧侶:
「もし観音寺が大事にしてきた仏像をもう一度浮石寺で大事にする機会を与えてくれればありがたい」
観音寺・田中節孝前住職(当時66):
「本当にふざけた話の積み重ねですね」
韓国・瑞山市の浮石寺は「仏像は倭寇から奪われたもので元々所有していた」と主張。「盗品」として保管する韓国政府に引き渡しを求めて裁判を起こし、国際問題にまで発展します。
2017年1月、一審・大田地裁は「過去に正常ではない過程で日本に渡ったという事実が認められ、仏像は韓国の浮石寺の所有と十分推定される」とし、韓国政府にただちに浮石寺に引き渡すよう命じました。
韓国政府は「記録の信憑性に疑問がある」として控訴。大田高裁の控訴審では観音寺の田中節竜住職が出席し、「窃盗団による盗難という事件の本質に立ち返るべき」と訴えました。
観音寺・田中節竜住職(当時46):
「すでに10年という月日が流れておりますので何回も言っておりますが早期返還を強く求めるところです」
2023年2月、二審、大田高裁が下した判決は…。
井上敦記者:
「大田高裁は一審判決を一転して取り消し、所有権を主張する韓国の寺の訴えを退けました」
大田高裁は「日本側の取得時効が成立している」として、所有権は日本の観音寺にあると判断。韓国・浮石寺への引き渡しを命じた一審判決を取り消しました。
田中節孝前住職(当時76):
「願っていた通りになったありがたい。単純な窃盗事件ですから何も政治的に絡める必要はないし、単純な窃盗事件をどうして10年もかかるのか。幸いに司法も味方をしてくれたわけですから、速やかにここから奪った仏像を返していただきたい」
窃盗事件から10年余り。ようやく所有権が認められました。しかし、浮石寺側は、判決を不服として上告。所有権の審判は、最高裁に委ねられます。
そして、2023年10月。
ANNソウル支局・井上敦支局長:
「韓国の最高裁にあたる大法院は先ほど、所有権を主張した原告の韓国の寺の訴えを棄却しました。盗難から11年、ようやく返還への道筋が見えてきました」
最高裁は二審と同じく「所有権は観音寺にある」との判断を下しました。
「高麗人の背中に再び刀を刺した野蛮な判決」と浮石寺の住職が怒りを露わにする一方、対馬市の檀家からは安堵の声が聞かれました。
観音寺の総代長、村瀬辰馬さん(当時69)は、返還を見届けることなく2022年に老衰で亡くなった事件当時の総代長の父・敬三さん(享年90)の遺志を継ぎ、返還を願ってきました。
観音寺・村瀬辰馬総代長(当時69):
「このうれしいニュースを生きている間に(父に)聞かせてあげたかった。喜んでいると思います」
観音寺・田中節竜住職(当時48):
「最終的には対馬に戻ってきて地域の方がそれを見て安心する表情を見ることですかね、それが一番の私の願い」
2025年1月24日、12年3カ月の時を経てついに返還。最後は日本と韓国の仏教関係者の間で友好的に行われました。
観音寺・田中節孝前住職(78):
「『雨降って地固まる』の例えの通りご縁のある対馬の寺院とも仲良くしていこうということで決着いたしました。これを解決しないと死ねんなと思ってました。まだか、まだかと思っている時は長いじゃないですか。だから終わったから、あっという間の13年だったと今、口で言えると思います」