ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の訃報を受け、県内からも悼む声が寄せられています。6年前、長崎の爆心地から「核兵器のない世界が可能であり必要」と世界に呼び掛けたフランシスコ教皇。その言葉を振り返ります。
フランシスコ教皇は、現地時間の21日(月)朝、バチカンの自宅で亡くなりました。88歳でした。ローマ教皇庁は、死因について「脳卒中に続く昏睡と、不可逆的な心不全」と発表しました。
フランシスコ教皇は2019年11月、ローマ教皇として38年ぶりに長崎を訪問。原爆落下中心地碑に祈りを捧げ、核兵器廃絶を訴えました。
フランシスコ教皇:
「核兵器から解放された平和な世界。それはあらゆる場所で男性も女性も数えきれないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、全ての人の参加が必要です。核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治を司る指導者の皆さんにお願いします。そして心に刻んでください。核兵器は、今日の国際的または国家の、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」
日本二十六聖人記念館の館長 デ・ルカ・レンゾ神父は、教皇と同じアルゼンチン出身で、神学校時代に教皇から直接指導を受けました。長崎を訪れた際には、通訳を務めました。
日本二十六聖人記念館館長 デ・ルカ・レンゾ神父(61):
「殉教者たちのこと、あと原爆のこともあるから、彼は過密なスケジュールの中でもやっぱり広島と長崎をどうしても入れたいということで、本人にとっては長崎に来ることはその生涯の思い出だったと言えるかもしれない。ヨハネパウロ2世は『戦争は人間の仕業』という名言を残しましたが、もう少しフランシスコ教皇は踏み込んで核を持つこと、使わなかったとしても核兵器を持つこと自体はやはり『倫理に反する』と」
(Q.教皇フランシスコはレンゾ神父にとってどのような存在でしたか)
「非常に大きい。私にとっては、彼がいなかったら私は別な人間になったと思う」
長崎県被爆者手帳友の会の会長を務める被爆者で、医師の朝長万左男さん(81)は、直近では去年11月を含め、これまでに3回、直接フランシスコ教皇に謁見しました。
長崎県被爆者手帳友の会・朝長万左男会長(81):
「結局大統領が最後に倫理的に核兵器はもうなくすという決断をしない限りは、人類は核廃絶できない。そこに一番近いところまで訴えていったのは、フランシスコ教皇だと思う。世界の今、紛争の多いガザとかイスラエルとかにも言葉を発して、もうやめなさいと、平和を回復しなさいとおしゃっていたのはすごいこと。ここまでできる方はいない。非常に残念」
日本に2人しかいない枢機卿の1人で、潜伏キリシタンの子孫の被爆2世 前田万葉枢機卿(76)は、NCCの取材に対し、「フランシスコ教皇には去年12月にお会いしたのが最後となった。核廃絶について教皇は使用だけでなく所有することさえも倫理に反するとはっきり発信して下さったことをうれしく思っている。その後もお会いする度に核廃絶について話すと真剣な顔で聞いてくれた。力強く『そうだ』と言わんばかりだった。バチカンでの葬儀後大阪でも追悼ミサをする予定」と話しました。
カトリック長崎大司教区の中村倫明大司教は、「教皇の『この地(長崎)は核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結果をもたらすことの証人である』などの言葉を遺言として受け取る」との談話を発表しました。27日(日)午後3時からは、浦上天主堂でフランシスコ教皇の追悼ミサが執り行われる予定です。