「まぼろしの邪馬台国」などで知られる島原市の作家・宮﨑康平さん(1917ー1980)。作詞した島原高校の校歌の楽譜などの複製を親族が学校に寄贈しました。
島原高校を訪れたのは、1980年に62歳で亡くなった宮﨑康平さんの孫で、女優の宮﨑香蓮さん(29)です。
寄贈したのは島原高校の校歌の楽譜や歌詞を記した原本の複製で、当時、康平さんが使っていたペンネームで署名がされています。
宮﨑康平さんは島原高校の前身である旧制県立島原中学校を卒業。生前には島原高校以外にも市内数多くの学校の校歌も作詞していました。
実は香蓮さんも島原高校の卒業生。在校中、所属していた合唱部では、よく歌っていたといいます。
盲目の作家だった康平さん。島原高校の校歌は失明後、初めて手掛けたものでした。康平さんはのちに作詞当時のことをこのように振り返っています。
「失明の動揺と失望の慟哭と発狂寸前の颶風のように渦巻く坩堝の中(中略)母校の校歌が出来るか出来ないかは、私にとって生きるか生きれないかの対決だった」
生徒たちに希望と光を与えるものではなくてはならないと、校歌の歌い出しは境遇とは真逆となりました。
宮﨑香蓮さん:「前向きな気持ちで生きるという思いの中で作詞したようなので、高校生たちも色々なものに負けず、でも背負いすぎることなく楽しく歌っていただければいいのかなと」
岩橋校長:「生徒にはぜひ校歌に誇りを持って楽しく学校生活を送ってほしい。校歌も大事にしてほしい」
時を経て、歌い方や演奏のニュアンスが変わってしまうこともあるという校歌。島原高校では寄贈された複製を貴重な資料として保管するとしています。