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引き揚げ死没者慰霊祭 佐世保市浦頭ふ頭

2020年08月14日

あすで終戦から75年になります。佐世保市で14日、戦後の引き揚げで命を落とした人たちを追悼する慰霊祭が行われました。
佐世保市南部の浦頭港では戦後の1945年から50年にかけて、旧満州や朝鮮半島、東南アジアなどから軍人や民間人約140万人が引き揚げてきました。このうち4000人近くは、船内や上陸後の検疫中に、栄養失調やコレラなどの伝染病で命を落とし、検疫所の敷地内で荼毘に伏されました。幼少期を近くで暮らし火葬の様子を見ていた森川普さん(84)。33年程前に検疫所跡に地蔵菩薩を設置し、ひとりで供養を続けてきました。森川さんは今でも70年以上前のことを鮮明に覚えています。(森川普さん)「こどもの時にですね人間をここで焼いて、コレラ、赤痢、いろんな病気の伝染病を持って来ているわけ。怖かったですはっきり言って。可哀そうですよ。女の人は髪を切ってですね、子どもを引っ張って食い物がない。我々も食い物ないですから芋を蒸したものを持って行ってやれってお袋から言われて…」森川さんの活動を地域で引き継ぐために去年7月に供養塔が建てられ、11日に針尾地区自治協議会が初めて慰霊祭を行いました。今年はコロナ対策で規模を縮小し、関係者や遺族など約30人が集まりました。読経の後、供養塔と地蔵菩薩に焼香し静かに手を合わせました。長崎市から参列した遺族の井手栄三さん(78)は「私も長い間この地に姉に会いに来ず本当に申し訳ないと思っています。記憶にない姉ですけどね。親族の1人ですので姉弟共々供養していきたいと思います」と話しました。針尾地区自治協議会会長の富川安憲さん(69)は「やっぱり戦争悲劇が2度と起こらないようにしていかないといけないし、我々も後世に伝えていきたい。この慰霊祭がそういうきっかけになればと思っております。139万人以上の方がここから全国に散らばって行かれていから、そういう人たちがもう一回(浦頭に)来られるというのを願っております」と語りました。。終戦から75年、この地で起きた悪夢のような出来事を次の世代にどのように伝えていくべきか。森川普さん(84)は最後にこう話しました。「自分としては、ここは息のある限り死なない限り杖をついてでも自分が祀るという頭があります。戦争は嫌です」。