「9の日」の9日、100歳の被爆者ら約70人が「長崎の鐘」を鳴らしました。
「長崎を最後の被爆地に」。18年前(2006年)、被爆61年の平和祈念式典の平和への誓いでそう訴えた中村キクヨさん。21歳で被爆し、今月100歳になりました。顧問を務める県被爆者手帳友の会や、NPO法人「アジェンダNOVA(ノーヴァ)ながさき」などで組織する「長崎の鐘を鳴奏会(ならそうかい)」が2008年から続けている毎月9日午前11時2分に「長崎の鐘」を鳴らす取り組みに厳しい暑さの中、参加しました。
「長崎の鐘」は、被爆当時、動員学徒や女子挺身隊と呼ばれた中学生や女学生など長崎の軍需工場で働き、原爆の犠牲となった人々の慰霊のモニュメントとして1977年、県被爆者手帳友の会と県動員学徒犠牲者の会が設置しました。
9日は、「ひよこ保育園」の園児17人や、居合わせた市民・観光客など約70人で核兵器の廃絶や平和を願って打ち鳴らしました。初めて参加した人には、鳴奏会がポストカードをプレゼントしています。
中村キクヨさん:
「100歳になっても核の廃絶と平和に対する気持ちは変わりません。これから先も平和でありますように、それをお願いしました」
(Q.鳴らされた途端、青空が出てきました。青空になりました)
「それは私の100歳を祝ってくれたのかも知れません。あなたの言うことをちゃんと聞いてますよ。という答えかも知れません」
(Q.今の願いを教えて下さい)
「今の願いは一日も早く戦争が終わること、そして世の中が平和になること。戦争のむごさ、悲しさを皆さん知っていただいて、そしてやっぱり人間として平和な道に、話し合いで解決して平和を元通りにしてもらいたい、それをお願いしたいと思います」