「9の日」の12月9日、被爆者たちが平和公園で核兵器のない平和な世界を願いました。
県被爆者手帳友の会やNPO法人「アジェンダNOVA(ノーヴァ)ながさき」などでつくる「長崎の鐘を鳴奏会(ならそうかい)」は、毎月9日、原爆が炸裂した午前11時2分に合わせ、市民や観光客らと共に平和を願い、長崎の鐘を鳴らしています。
被爆者・本村チヨ子さん(85):
「核戦争を無くそう、争いを無くそう。出来るはずだと80年信じてきましたから、鐘をついてくれた若い人たちがきっと守ってくれるだろうとそれを信じる、信じたい」
参加した被爆者の本村チヨ子さん(85)にマレーシア人留学生とその家族が、被爆体験を聞かせてほしいと申し出ました。本村さんは、背中に無数のガラス片が刺さりながらも、覆いかぶさって自分を助けてくれた祖母が翌年、亡くなったと伝えました。
被爆者・本村チヨ子さん(85):
「私のような被爆者は二度と世界、地球上に生んではならない」
マレーシアから・ザリナ・ナジムディンさん(49):
「長崎を最後の被爆地にしなければいけない。戦争をこれ以上、繰り返さないためにすべての戦争を止めなければならないし核兵器は決して使ってはならない」
平和祈念像の前では、505回目の反核9の日の座り込みが行われました。
被爆者ら約100人が参加し、「核と人類は共存できない」「武力で平和はつくれない」として核兵器廃絶を訴えました。
被爆者・長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会・川野浩一議長(84):
「ノーベル平和賞の受賞は多発する国際紛争への警告だと思っています。(ロシアやイスラエルに)核兵器を絶対に使わせない。早急に紛争を止めさせる、その運動を続けることがいま必要なのではないかと思います」
田中安次郎さんは3歳の時、爆心地から3.4キロの新中川町の自宅前で遊んでいた時に被爆しました。
被爆者・田中安次郎さん(82):
「(日本被団協のノーベル平和賞受賞は)本当によかったなと思います。世界が核兵器廃絶の運動を認めてくれたということだと思います。核兵器廃絶だと言葉で言いますけど、行動することが大事、動かないといけない。一人ひとりが信念を持って平和な世界へつなげていくのが私たち被爆者の務め」