第二次世界大戦中、ダムの建設中に命を落とした日本人とアメリカ人捕虜を追悼する慰霊祭が佐世保市で行われました。
佐世保市上柚木町の「相当ダム」は、水の供給が限られていた第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)に、旧日本軍により建設が始まり、3年後の1944年(昭和19年)に完成しました。作業に当たっていたのは日本人や韓国人労働者、アメリカ人捕虜で、このうち、重労働や過酷な住環境などで日本人作業員14人とアメリカ人捕虜53人が命を落としました。
戦後の1956年(昭和31年)、ダムのそばに慰霊碑が設けられ、以降、アメリカ海軍佐世保基地が主催して慰霊祭が行われています。今年は、アメリカ海軍佐世保基地の隊員や市の関係者、近くの柚木中学校の生徒など約100人が出席しました。
アメリカ海軍佐世保基地・マイケル・フォンテーン司令官:
「先人たちの犠牲に思いを馳せ、日米両国が共有する不朽の友情と同盟の絆に貢献した彼らの功績を感謝しましょう」
出席者は慰霊碑に花を手向け、追悼のラッパの演奏とともに、亡くなった人たちを悼みました。
出席した中学生:
「(ダム建設の)歴史が柚木にあるというのが驚きました」
出席した中学生:
「亡くなるほどつらいことをされていたと思うとすごくつらかっただろうなと思います」
相当ダムの完成から今年で80年。犠牲となった命や、その歴史は若い世代にも引き継がれていきます。