「亡くなった夫の絵を多くの人に見てほしい…」妻の願いがかなった展覧会が長崎県美術館で開かれています。
妻は夫のことをこう呼んでいました…。『お絵描きさん…』馬場昭代さん(81):「展覧会始まりましたけどどういうお気持ちですか」「やっと…こぎつけたなあと…」
去年3月、87歳で亡くなった夫の馬場和男さんです。趣味で描いた数多くの絵を残していました。会場には油絵や版画など約170点が展示されています。
昭代さん(81):「絵の通り非常に穏やかでした。穏やかですけど情熱家です。心が温かくないといけないというのがずっと流れていた」
和男さんは三菱重工の技術本部長崎研究所に務めながら会社の文化サークル、「三菱重工長崎洋画部」で絵を描き続けてきました。41年間務めた三菱を退職したあともキャンバスに向き合い、美を追求していたそうです。
昭代さん(81):「すごく集中をして向かっていたのでその時はそっとそれぐらい集中しているから邪魔したらいかんと」
自然を愛し、宮沢賢治を尊敬していました。自分の足で見つけた景色をモチーフに風景画も描いてきました。会場には朝から多くの友人たちが訪れていました。
友人写真家・三菱重工OB・大矢統士さん(84):「心を打つかというのが一番大事なことだと思うんです。今、私たちが忘れていた世界を人間というのはこういうもんだというのをしっかりと僕は描き出してあると思っています」
76歳の時、和男さんは国内最大の総合美術展覧会「日展」に初入選。亡くなる2年前の2021年までに計8回もの入選を果たしました。初入選した作品です。9カ月かけ完成させました。初入選のお祝いは「料亭花月」で…おいしいものを食べたそうです。「トレッキング(山歩き)」は夫婦共通の趣味でした。ヒマラヤ山脈を望みながら歩く「ネパール」には10回も行ったそうです。その時のスケッチを油絵にしたのが「ヒマラヤの泉(2001年)」。県展で入賞しました。現地の人たちの生活感が伝わります。和男さんは、9歳の時、爆心地から約3キロの水の浦町で被爆。生前、昭代さんに平和への思いを話していました。
昭代さん(81):「彼は原爆というのが、どれほど悲惨なものかと自分が歩いて9歳の時に…こういうことはあってはいけないと」
何気ない日常を表現した「浦上界隈(2011年頃)」。爆心地に近い公園で遊ぶ子どもたちを描き、平和の尊さを訴えます。
昭代さん(81):「本当に平和な男の人でした。平和を求めていた原点が原爆だった」
去年8月9日の原爆の日、松山町の平和公園に、和男さんの写真を手に持ち祈りを捧げる昭代さんの姿がありました。
昭代さん:「主人が今年逝ってそんなに経たないですけどちゃんと天国に行ってね。もちろん行っていると思うけど素晴らしい人だったんで」
大好きな『お絵描きさん』へ…。
昭代さん(81):「これだけきちんと一筆一筆から出来上がってそれがうれしい、うれし涙です。絵の前に立った時にこれは何を表現したいのかをピーンと“やまびこ”みたいに心に入っていただけたら一番うれしい」
芸術と平和を愛した馬場和男さんの遺作展は県美術館の県民ギャラリーC室で24日(日)までです。入場は無料です。