原爆で約1300人の児童が犠牲となった長崎市立山里小学校で平和祈念式が営まれました。
爆心地の北約700mに位置する山里小学校。原爆投下から4年後の1949年11月3日、原爆の惨禍を生き残った児童や、自らも被爆しながら被爆者の救護や原爆病の研究に尽くした永井隆博士が建立した「あの子らの碑」は平和のシンボルです。この碑の前で毎年、平和祈念式を営んでいます。
式では、山里国民学校2年の時、爆心地の北約1.5キロの家野町の自宅で被爆した榊安彦さん(86)が被爆体験を話し、山里小で学んだことを卒業後も生かしてほしいと語りかけました。
榊安彦さん(86):
「戦争の愚かさ、原爆の悲惨さ、平和の尊さを皆さんにぜひこの山里小学校の6年間で学び、卒業していってもらいたい」
児童代表作文・峰遥月さん(6年):
「戦争で悲しみ、苦しんでいる人のことを忘れず、今自分が生きていることに感謝をし、やさしさと思いやりを持って相手のことを考えられる大人になりたいです」
児童らは永井博士が作詞し、第二校歌として歌い継ぐ「あの子」を歌い、平和への誓いを新たにしました。
♪あの子「ああ あの子が生きていきていたならば」