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2024/03/12

『どうして五島でここまで強くなったのか』川原琉人ー県勢初快挙の離島の高校生 新しい『山の神』へ!初代との共通点とは…卒業前後に密着取材で裏側に迫る

全国の強豪校のエースたちを抑え一躍ヒーローになったのが、駅伝部もない五島南高校の川原琉人(かわはら・りゅうと)選手。
【川原琉人】「走ることが面白い。」

顔

無我夢中

その走りには、この言葉がよく似合います。卒業式を翌日に控えたこの日、押し戻されそうになるほど強い風が吹く中、川原選手は淡々と走り込んでいました。どうして「五島」で強くなったのか、高校卒業前後に密着し、その裏側に迫ります。

三井楽地区

川原選手は五島列島の中心・福江島の北西に位置する人口2000人ほどの小さな町・三井楽で生まれました。6歳で競技を始め、中学では陸上部もない中、3000mで当時、中学歴代3位の好記録(8分20秒42)をマーク。荒削りなフォームながら、世代トップランナーへと名乗りを上げます。
【三井楽中3年(当時)川原琉人】「(中学3年間は)悔しい時もあればうれしい時もある、山あり谷ありな3年間でした。」

高校2年までは、個人で全国大会の出場はなかったものの、高校3年になった今年度、飛躍を遂げます。インターハイが懸かった北九州地区大会では1500m、5000mで2冠を達成。インターハイにも出場し、去年11月には9年ぶりとなる5000mの県高校新記録も樹立しました。(13分52秒29)

北九州

県勢初の快挙ー都道府県対抗男子駅伝

しかし全国では結果を残せていなかった川原選手。周囲を「あっ」と驚かせる走りを見せたのが、1月の都道府県対抗男子駅伝(広島)。インターハイの日本人トップや高校歴代上位の記録を持つトップ選手らがそろう「1区」に、県代表として出走しました。

【実況】「さぁ、長崎・五島南の川原琉人がぐっと前に出てきました。序盤からレースを支配しようかと、仕掛けていきます」
去年の同じ区間では、トップと8秒差の3位と競り負けました。雪辱を果たすため、1年かけて磨いてきたのが…

ラストスパート

【川原琉人】「ラストスパートです。疲れた状態でも体をスピードに乗らせることを意識して、この一年やってきました。」
【実況】「また川原が前に出た。一時は中盤で様子を伺っていましたが、残り1.6キロ、去年のリベンジを果たすべく、早めのスパート!」
【川原琉人】「残り1.6kmで出た後は本当に倒れる覚悟で、気持ちで持っていって走ってました。」

【実況】「川原がたすきを取った。駅伝部もない離島の高校生が、都大路常連校のエースたちを抑え、区間賞なるか。区間記録の更新も見えてきた。長崎の川原琉人、県勢初の1区区間賞!トップでたすきリレー!」
【川原琉人】「区間賞・区間新で恩返しができたけど本当にまだ始まったばかりなので、もっと上を目指してもっと恩返しできたら。」

「何もない環境だから強くしてくれた」

一本道

全国で躍進を遂げた背景には、決して恵まれているとは言い難い練習環境があります。毎日のように走り込んだのが、近所の農道です。
【川原琉人】「自分を鍛えてくれた場所」
高い木が両脇に並ぶ一本道。雑念を取り払い、自分の走りに没頭できます。

【川原琉人】「五島は何もない。何もない分自分が今何をすべきなのかがしっかり考えられる。周りに左右されない環境が一番自分を強くしてくれた。」

見えないライバルを追いかけて

たった一人で走り続けるのは、精神的につらいはず。しかし練習中の彼は一人で走っているのに、誰かを追いかけているように見えました。
【川原琉人】「自分はチームメイトがいないので、誰か空想で思い描いて一つひとつの練習で勝っていくというやり方をしているので、自分で思い描いて想像して戦うという部分から強さが生まれた。」

二人三脚で駆けた祖父の支え

ここまでの道のりはもちろん、平坦ではありませんでした。
【三井楽中3年(当時)川原琉人】「高校生になったら、全国高校駅伝(都大路)を目指せるように日々の練習を真剣に取り組んでいきたい。」
中学を卒業後、一度は島を出て本土の駅伝強豪の高校へ進学しますが、チームの指導方針と合わず、転校を決断。五島南に編入しましたが、当時は大好きな走ることから離れるほど、苦しい期間を過ごしたといいます。
【川原琉人】「結構つらかった。あの時は走ることに対して、マイナス的なイメージ。走りたくないと、投げやりな気持ちになってた。」

祖父

そんな彼を支えたのは、陸上の師匠と仰ぐ、祖父・高弘(たかひろ)さんでした。
【祖父・高弘さん(71)】「帰ってきて1カ月くらい遊ばせて、私と一緒に自転車で遊んだりしてサイクリングして楽しんでいた。1カ月ね。この子が走りたいって言うまで、自由にさせていた。1日20kmくらい走ってましたね、自転車で。」

祖父の支えで立ち直りメキメキと力をつけ、毎月発行される五島の広報誌の表紙にも選ばれました。
【三井楽町民】「小学生になる前くらいから、じいちゃんと一緒に走りよった。三井楽の星。」

地元の人たちに愛され、支えられ、五島の顔となった18歳は、この春、古里を離れ、大学に進みます。

順大

【川原琉人】Q.大学はどこへ進学?「順天堂大学です。」
箱根駅伝優勝11度を誇る、名門・順天堂大学。大学での目標はー
【川原琉人】「箱根駅伝で5区を走ること。」
志すのは、箱根駅伝、最大の注目、山登りの5区。順天堂大学の山登りといえば、3年連続区間賞を獲得した、初代山の神・今井正人さんの存在が目立ちます。

今井さんと同期で、現在、チームの指揮をとる長門監督(諫早高出身)は、川原選手に可能性を見出しています。
【順天堂大学長門俊介監督】「彼(今井正人さん)がよく山の適性で話してたことが『山を恐れない』坂道を恐れない、苦手意識を持たないことが大事だと話していた。」

長門監督

幼い頃から五島の起伏が激しい道を走り慣れた川原選手にとって、恐怖心はありません。
【長門監督】「そういう気持ちでいることがまず適性というよりも、そこに挑戦するための心構えを持ち合わせている。新しい『山の神』になれるんじゃないかな。」
【川原琉人】「今井正人さんを超えれるような走りをして、自分が新たな『山の神』だと証明したい。」

迎えた門出の日

卒業式

【五島南高西平耕治校長(55)】「苦しい時は登り坂。皆さんがこれから歩む人生は、必ずしも順風満帆の時ばかりではありません。困難にぶつかり挫折を味わうこともあると思います。しかし、苦しい時つらい時こそが自分を高める、成長させるチャンスなのです。困難にぶつかった時は、『苦しい時は登り坂』という言葉で自分を励ましてください。」

【母・友枝さん(45)】「うれしいしかないです。おめでとうと心から思います。(大学では)元気でのびのびとやってくれれば良いかな。」

二人三脚で駆け抜けた祖父へ
【川原琉人】「決して順調ではなかった時もあった。そんな中でも強く後ろから支えてくれたのが、一番自分の強さになった。小学校から今までありがとうございました。」
【祖父・高弘さん(71)】「これからも夢に向かってどんどん突き進んでください。琉人やからできるけん、頑張れ。ありがとうございます。」

「今までありがとう」

卒業式の朝も、日が昇る前から、走り込む姿がりました。祖父と一緒に練習を終わりに、朝日を眺められるのも残りわずかです。
【川原琉人】「もうここを離れるのかという寂しさはあります」

どうして

改めて聞く、川原琉人はどうして「五島で」強くなったのか?
【川原琉人】「環境です。五島の起伏の激しいコースだったり、風の強かったり、天候が分からないって状況で、そういった中でも自分で考えて練習を工夫することがあったので、環境。」

五島「でも」ではなく、五島「だから」強くなった川原琉人。次のステージでも、古里への感謝を胸に、無我夢中で駆け抜けます。

アサヒ

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