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2024/4/4(木) 22:10

夜桜と炎が織りなす“歴史絵巻” 県内最大の火祭り「観櫻火宴」 雲仙市千々石町

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夜桜を照らす無数の灯火。たいまつを掲げ練り歩くのは勇壮な鎧武者です。雲仙市千々石町で3月30日に開かれた県内最大級の火祭り「観櫻火宴(かんおうかえん)」。武者たちは古里の繁栄を願う「いやさか」の掛け声を声高らかに町中に響かせます。

安土・桃山時代の天正5年(1577年)、この地にあった釜蓋城(かまぶたじょう)の城主、千々石大和守直員(ちぢわ・やまとのかみ・なおかず)率いる千々石軍と佐賀から攻め入った龍造寺(りゅうぞうじ)軍との合戦を再現する「歴史絵巻」です。

3月27日。桜の花がほころび始めたこの日、観櫻火宴の舞台、雲仙市千々石町の橘(たちばな)神社を訪れました。こちらの男性は28年前に観櫻火宴を立ち上げたメンバーの1人で、観櫻火宴実行委員会の会長、町田岩太さん66歳です。

町田岩太さん:
「ここが釜蓋城跡なんですね。こちらの方に南島原市の原城の有馬家の出城として、釜蓋城というのができてるんですね。そこに有馬家の三男が養子に来て、お城の城主になったと言われてます。その城主が千々石大和守直員(ちぢわ・やまとのかみ・なおかず)といって、観櫻火宴での総大将になるんですね。ここが450年ぐらい前に佐賀の龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)と千々石大和守直員の決戦が行われた場所になるんですね」

龍造寺軍は佐賀から有明海を渡って雲仙市国見町の神代(こうじろ)に上陸。その数、1万数千人、対する千々石軍はわずか800人ほどだったと言われています。

町田さん:
「千々石を守った兵力は少なかったけども、『自分たちの古里を守るんだ』というようなことで、その当時の人たちは負け戦っていうのはわかってたんですけども、千々石、古里を守るために『自分たちが戦うんだ』と。そしてその時にですね、村人たちをみんな避難させてるんですね。『お前たち逃げろ』と。多勢に無勢で、ここの釜蓋城は負けて、お城は燃えてしまうというのような形になります。そしてその時、千々石大和守直員(ちぢわ・やまとのかみ・なおかず)は自刃するんですね。そして、千々石、古里の安泰を願う。無念だったと思います」

この時、直員(なおかず)は25歳だったとされています。

町田さん:
「千々石軍は負けてしまうんですけども、その時に(直員の)幼子をですね、乳母に背負わせて大村まで逃がしています。その乳母に背負われて逃げた子どもが、後の千々石ミゲルになる」

千々石ミゲルは、本能寺の変が起きた天正10年(1582年)、直員(なおかず)の兄、大村純忠(おおむら・すみただ)など九州のキリシタン大名がローマに派遣したとされる天正遣欧少年使節の一人です。その墓所が諫早市多良見町で見つかり、土の中からは千々石ミゲルと思われる遺骨も出土していました。その遺骨は分骨され、釜蓋城跡の近くの父・直員(なおかず)の霊を祀る天満宮の横に建てらた墓に納められています。

町田さん:
「お父さん(千々石大和守直員)がここにいて、そして子ども(千々石ミゲル)がここにいる。約450年経って、こうやってお墓に入ったというと何か一つ感慨深いものがありますね」

直員(なおかず)が愛した千々石の繁栄を願う「観櫻火宴」。28回目の今年は、県の内外から日本人だけでなく外国人も含めた約180人が参加しました。観櫻火宴では、この春、小学1年生になる子どもを「稚児武者(ちごむしゃ)」、中学1年生になる子どもを「元服武者(げんぷくむしゃ)」とし、祭り全体で祝福します。

稚児武者・矢崎敢大くん(6):
(鎧を着てみてどうですか?)「重い。最後まで歩きます」
母親・幸恵さん:
「かっこよくて素敵です」

稚児武者・野中花奏さん(6):
(着てみてどう?)「楽しい」
母親・麻美さん:
「私もここ(千々石)出身で、同じ頃着たことがあるので、時代が回って、良い思い出になるなと思ってます」

稚児武者・本多泰士くん(6):
「歩くのを頑張る」
母親・千佳さん:
「ここまで成長してくれたというのが一番。すごく胸いっぱいになってます」

元服武者・木場和奏さん(12):
「すごく緊張するし、鎧を着たという実感がすごく沸きます」
母親・康子さん:
「小さかった子どもがいつの間にか春から中学生ということで、うれしいようで寂しいようで誇らしく思います」

元服武者・福田俐壱さん(12):
(着てみてどう?)「重いです」
(着たことある?)「小学1年生の時に1回」
母親・美春さん:
(息子の姿を見てどう?)
「凛々しいです。保育園の頃は小さくて可愛かったけど、今度中学生になるにあたって、やっぱり成長したなという気持ちが一番強いです」

こちらの男性は、総大将の千々石大和守直員(ちぢわ・やまとのかみ・なおかず)を演じる千々石町農業研究会の会長、山口条紀さん、28歳です。

千々石大和守直員役・山口条紀さん:
(今どんな気持ち?)
「戦う前ですね。皆さん一生懸命されてるので失敗しないように頑張りたいと思います」

観櫻火宴の出発地点は千々石海岸近くの福石公園です。多くの人がカメラを向ける先には…。

大石知事:
「I’m Kengo Oishi Governor of Nagasaki」

今回、県知事として初めて大石知事が参戦しました。

大石知事:
「昔こうやって着て、戦ってたんだなというのが感じられて、すごく感慨深いです。県外からもすごく親しまれていると聞いて、すごく魅力的だなというふうに思います」

午後7時すぎ。鉄砲隊の火縄銃による演舞が披露され武者たちの松明に火を灯します。そして…。

千々石大和守直員役・山口条紀さん:
「皆の者!出陣!我に続けー!」

総大将の直員(なおかず)の出陣の合図で、松明を掲げた武者たちが一斉に進軍。たいまつの炎に照らされる勇壮かつ幽玄な武者行列。その光景はまるで戦国時代にタイムスリップしたかのようです。観櫻火宴は「日本一のたいまつ武者行列」にも認定されています。(日本一ネット)

町田岩太さん:
「もともと観櫻火宴は慰霊、鎮魂の祭りでもあります。450年前にここの釜蓋城の戦いで亡くなった人たちの魂を案ずる祭りでもありますし、そして能登半島地震でなくなった方たちの霊を慰める、そして私たちが復興のためのエールを送るという意味合いでたいまつを灯した。微力なんですけど、そういう力が合わされば、きっと大きなものになるんじゃないかなと感じます」

それは雲仙・普賢岳災害時に受けた全国からの支援への恩返し。最終地点の橘神社までの約2キロ、鎮魂や復興、繁栄を願い、「いやさか」の掛け声を響き渡らせました。

一行は約1時間かけて橘神社の本殿に到着。最後に直員(なおかず)が今年中学1年生になる元服武者に祝いの言葉を送りました。

千々石大和守直員役・山口条紀さん:
「きょうから君たちは大人の仲間入りだ。胸を張りなさい。つらいことがあっても負けるな。そして自分から不幸になってはいけない。君たちは決して一人ではない。みんなから愛されている。これから君たちの成長を、きょうここに来ているみんなで大きな声で祝福する。観櫻火宴、元服武者、いやさかー!」

山口条紀さん:
「迫力がすごかったですね。大将をさせてもらって、セリフとかあったんですけど、なんとかうまくできたんじゃないかなと思います。祭りを通して長崎、雲仙市千々石町を知ってもらって、もっと長崎県だけじゃなくて、全国に広がるようなイベントになればいいかなと思います」

参加者(佐世保から):
「今年で3,4回目の参加なんですけど、毎年参加したくなるような祭りですね。今年は桜のタイミングだったのできれいだった」

元服武者・福田俐壱さん(12):
「すごくたいまつは重かったけど、楽しくできたので良かったです。(中学校では)部活や勉強をたくさんして頑張りたいです」

観櫻火宴実行委員会・町田岩太さん:
「この祭りを通して、この千々石のこと、長崎のことを知ってもらえるし、私たちの祭りを通して古里を見直すとか、そういうものの足掛かりになってもらえばいいなと感じます」

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