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2024/3/12(火) 18:57

惨禍語る遺品「ナガサキー『あの日』からの私」原爆資料館で企画展 9月30日(月)まで

  • #歴史
  • #長崎市

長崎原爆資料館で、企画展「ナガサキー『あの日』からの私」が始まりました。

黒く焼け焦げた屋根瓦に、
亡くなった父の遺品の手帳。
母の形見であるハート形の指輪など、原爆の遺品64点が展示されています。

長崎原爆資料館学芸員・後藤杏さん:
「原爆の被害に遭われた方々が、その後の人生をいかに生きてきたか、被爆者や遺族の体験をご紹介している展示となっている」

故・西川美代子さんが寄贈した「兄の水筒」です。
被爆当時8歳だった西川さんは、当時、県立瓊浦中学校の1年生だった5歳上の兄、当時13歳の昭治さんを、原爆で亡くしました。長崎市岡町にあった下宿先から見つかった水筒が、兄・昭治さんの唯一の遺品です。遺体も見つからず、「あの日」から深い悲しみを背負って生きてきた家族は、この水筒があることで、昭治さんとのつながりを感じられたそうです。

立川裕子さん(93)が寄贈した自身の体に刺さったガラス片とコンクリート片です。
当時、14歳、県立長崎高等女学校の3年生だった立川さんは、三菱長崎兵器製作所大橋工場で学徒動員中に被爆しました。

後藤学芸員:
「原爆の爆風によって周囲の物が破壊されて、窓の近くに座っていた(立川)裕子さんの全身の100カ所以上にガラスの破片が刺さった。この破片は昭和24年に長崎大学病院で摘出されたもの」

さらに立川さんは、被爆から50年後の、1995年にも手術を受け、腰に刺さっていた、このコンクリート片を摘出しました。

後藤学芸員:
「(コンクリート片は)神経の近くにあったので、医者からも手術をすると歩けなくなる可能性があると言われていたが、寝返りも打てない状態だったので、平成8年に思い切って手術を受けて、コンクリート片が取り出されました」

93歳になった今でも、立川さんの体にはガラス片が残っていて、痛みを感じるそうです。

後藤学芸員:
「原爆が人々に何をもたらしたのかということをこの展示を通して見て知ってほしい」

長崎原爆資料館の企画展、「ナガサキー『あの日』からの私」は、9月30日(月)までで、企画展示室のみの入場は無料です。

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