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NCCアナウンサー 溝田 浩司ブログ:2009年10月
言葉
あふれるような思いを言葉にしていたあのころは、もう二度と戻らないのだろうか。
なにかを書きたかったわけではなかった。ただ心からあふれる思いを言葉に置き換えずにはいられなかったのだと思う。それが詩だといえばそうかもしれない。
いまは亡き詩人、風木雲太郎さんを思い出す。取材でご自宅を訪ねると、和装に杖をついて出迎えてくれた。畳敷きの書斎には小さな机があり、傍らに使い古された大きな辞典が置かれていた。詩作をはじめたときのことを聞くと、思いがけず失恋の話になった。ひとりたたずむ諏訪神社の長坂で最初の詩は生まれたのだそうだ。
昔のように詩を書かなくなったのは、それだけ心がしぼんでしまったからだろうか。もてあますほどの情報を次から次へと飲み下す毎日のなかで、かつてあった大切なものを忘れかけているような気がして怖くなった。
詩人、藤川幸之助さんの詩集「この手の空っぽはきみのために空けてある」(PHP研究所)を読んだ。まっすぐに、痛いほどに、ときに悲しいほど自分を見つめ続ける姿に胸を打たれた。そこにある海のようになにもかも脱ぎ去った言葉が、ゆっくりと語りかけてくる。そこにある青空のようにどこまでも澄み渡った心の言葉が、胸のなかにいまもこだましている。
![20091029174526[1].jpg](http://www.ncctv.co.jp/ana/mizota/upload_images/20091029174526%5B1%5D.jpg)
なにかを書きたかったわけではなかった。ただ心からあふれる思いを言葉に置き換えずにはいられなかったのだと思う。それが詩だといえばそうかもしれない。
いまは亡き詩人、風木雲太郎さんを思い出す。取材でご自宅を訪ねると、和装に杖をついて出迎えてくれた。畳敷きの書斎には小さな机があり、傍らに使い古された大きな辞典が置かれていた。詩作をはじめたときのことを聞くと、思いがけず失恋の話になった。ひとりたたずむ諏訪神社の長坂で最初の詩は生まれたのだそうだ。
昔のように詩を書かなくなったのは、それだけ心がしぼんでしまったからだろうか。もてあますほどの情報を次から次へと飲み下す毎日のなかで、かつてあった大切なものを忘れかけているような気がして怖くなった。
詩人、藤川幸之助さんの詩集「この手の空っぽはきみのために空けてある」(PHP研究所)を読んだ。まっすぐに、痛いほどに、ときに悲しいほど自分を見つめ続ける姿に胸を打たれた。そこにある海のようになにもかも脱ぎ去った言葉が、ゆっくりと語りかけてくる。そこにある青空のようにどこまでも澄み渡った心の言葉が、胸のなかにいまもこだましている。
![20091029174526[1].jpg](http://www.ncctv.co.jp/ana/mizota/upload_images/20091029174526%5B1%5D.jpg)
2009年10月31日
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