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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2009年2月

紙と鉛筆

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"自分が書いた原稿が始めて放送されたのは1990年4月1日(日)の夕ニュースだった。見出しは「ほら吹き大会」。桜も終わりかけた大村公園での取材をいまでも覚えている。

玖島城跡の広場には紅白の幕で囲われたステージが設けられ、その前にはブルーシートが広げられていた。大会はそこでどれだけ大きな、そして夢のあるほらが吹けるかを競い、一番に選ばれた人には豪華賞品が贈られるというものだった。しかし、ソメイヨシノはだいぶ散ってしまっていて、祭りという雰囲気はそれほど感じられなかったのを覚えている。春独特の肌寒さと、地面に敷き詰められた青黒い砂がそんな気分にさせたのかもしれない。

ステージに上がったのは数人の大人だったように思う。マイクスタンドはあっただろうか。観客を前に一人ステージに立つ姿は見るからに恥ずかしそうで、どんなほらを吹いたかよりほらを吹いた本人のはにかんだ表情のほうが印象に残っているくらいだ。しかし、最後にステージに上った人物は実に堂々としていた。銀縁の眼鏡に黒いダブルのスーツを着たその人は軽妙な語り口で「長崎空港にコンコルドを呼ぶ」と「ほら」を吹き、まばらな観客から多くの笑いをとった。しかしそれは「ほら」ではなく本当のことで、その年の9月にコンコルドは長崎空港に降り立った。

当時の(現在も、ではあるが)M市長の「ほら」を原稿にしたかどうかは忘れたが、記者室で書き上げた「ほら吹き大会」の原稿は満を持してファクシミリにかけられた。一人一台パソコンが与えられる今とは違い、当時は紙の原稿用紙に2Bの鉛筆で原稿を書いてファクシミリでデスクに送信していた。「ジジジジジ」と音を立てながら吸い込まれていく原稿を、時にじれったく、時に不安な気持ちで見つめる日々がそれから何年続いただろうか。

消しゴムで何度も消して書き直した原稿は、ほとんど原文が残らないほどひどいものだったに違いない。やがてデスクから送り返されてきた原稿は鉛筆の太い線で真っ黒になっていた。その黒の多さに取材のあまさや文章の拙さを実感したものだが、パソコンできれいに書き直されるいま、若い記者にその感覚を伝えるのは難しい。1990年4月1日。結局、ブラウン管に映るニュース映像をまともに見ることはできなかった。

あれから19年が経つ。そして4月にはNCC開局20周年の記念すべき年に突入する。鉛筆が姿を消し、紙の代わりにパソコンが並び、インターネットがあらゆる情報を運ぶ時代になった。そして、多くを教えてくれた先輩はこの世を去った。時代は移り変わるが、開局当時に苦楽を共にした同志の顔とあの日流した悔し涙は忘れることがない。

開局20周年を記念して新キャラクターが誕生した。既にテレビCMやホームページで名前を募集しているのでご存知の方も多いはず。応募の締め切りは2月14日。この機会に是非。(写真:新キャラクターを手にご機嫌の二唐アナ)"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
0型

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